lll back lll top lll novels top lll next lll



 この世界には神様がいます…
 神様は何人も何百人もいます…
 神様達の事を、神祇と呼びます。
 神様には、姫巫女といわれる人間が一人就くのです。
 姫巫女は神様にとっての夫婦の片割れ。。。
 姫巫女になるということは,神様に身も心も捧げる事。


 神様の中には掟を破ってしまった者、自我を無くした者がいます。
 その神様の事を崩祇(ほうぎ)と言います。
 崩祇は、神祇が人に害を成すと認めたときに消滅させられます。
 その手伝いをするのが姫巫女なのです…


 私は、その姫巫女になりたいのです。
 それも…この世界を支配しているすばらしい神様である誘祇(いざなぎ)の――
 誘祇は姫巫女はとらないと言います。
 でも、そんな事をしたら…誘祇は消えてしまいます。
 私はそれを阻止したい。
 だから誘祇の姫巫女になりたいのです。


 この想いは……幼きころに封印されてしまったけれど…



神祇の宴
第一紀「宴」
 第一話:姫巫女になるということ




 先ほどから何か嫌な空気がしている。何か、自分に害を成す者の気配がするのだ。まどろみの中にいたひぃなはその違和感に眉をひそめる。腰まである長い彼女の髪が、太陽の明かりに(きらめ)いて茶色に近い色になっていた。
 「……」
 朝方から、誰が何の用で私の部屋にいるのかしら…。
 通常ならばこのような事は起こるはずがないのだ。彼女――そう、ひぃなは誘祇の保護を受けている娘なのだから――……
 「何の用でしょう?」
 ひぃなは誰にでも丁寧に最初は接する。
 「…娘、我が姫にならぬか?
 そなたの力は我には狂おしい程…心地よいのだ」
 「遠慮させて頂きとう存じます。わたくしは、誘祇の加護を受けている身ゆえ――」
 この名も知らぬ神祇は、やはり私の事を姫巫女にしたかったのか。ひぃなは心持ちぐったりした気分で考える。さてどうしたものか、と。別にどうしたもこうしたも無いものだとは思わないのだろうか。誘祇を呼んでしまえば一発で事足りるだろうに。だが、そうはしなかった。
 別にそのようにしないのはひぃなの神祇への思いやりがあるというわけではない。確かに、誘祇を呼んでしまえば、にこやかに他人が見ていたら蕩けてしまう様な笑顔であの程度の神祇なら苦もなく吹き飛ばしてしまうだろう。これなら簡単に済みそうである。


 では何故そうしないのか。


 それは,こんな早朝から誘祇を呼び出すと言う事が彼女には堪えられないからだ。
 早朝から呼び出すと言う事は、彼の貴重な睡眠を妨げるという事であり……そのことは彼の仕事にまで影響を及ぼしかねないという事でもある。
 誘祇はひぃなに優しい。いくら自分が仕事で忙しくとも、ひぃなを守護する為ならば、多少の無理も(いと)わない。その上、平然としているから実際の所疲れているのかもわからない。なおさら性質が悪い。
 だから、余程の事がない限りはひぃなは誘祇を呼ぶ事を躊躇(ためら)う。今回も大した事ではないと考えているからこそ呼ばないだけの事。慈悲深いわけでも何でもなかった。
 「別に良いであろう?我らはそなた達が許可をしてくれなけねば手を出す事が叶わぬのだから……」
 「だから……お断り申しております」
 ぴしゃりと言いのけるひぃな。対して粘る神祇。ひぃなには悪気がないのだろうが神祇が哀れに映る。
 「のぉ、我が姫巫女に――」
 「なりません」
 「…………むぅ」
 いい加減、ひぃなも相手をするのに疲れたのか……言葉が冷徹になりつつあった。そして、神祇の方はぐぅの音もでなくなっていた。
 「申し訳ありませんが、ほんっとうに…御退却くださいませ!」




 「――なかなかに…風当たりの強い娘じゃった……」






 「全く、しつこいのよ」
 「ん?何が??」
 ひぃなの隣を歩いている青年が聞く。ひぃなの格好は、姫巫女を養成している由緒正しい学校の着物である。一方青年の方は狩衣を纏っている。この国の人間としてはありえない銀色に似た透明感のある美しい髪を、膝下まで伸ばしている。もちろん人間ではなく神祇である。それも、最高位の神祇である誘祇だったりする。
 「うん。今朝に現れた間抜けな神様のことよ……」
 彼は溜め息半分にひぃながそう答えれば、さも当然かのように
 「あぁ、彼なら今日は仕事を一杯押し付けてきたから今頃反省しているんじゃないかな?
  みんなも懲りないよねぇ」
 と言ってのける。その言葉に毎度の事ながらひぃなは驚く。
 「ちょっと……気が付いてたの!?
  折角人が余計な心労をかけまいと努力してたのに!」
 そんなひぃなを見ながら、楽しそうに笑う。
 「だって、私の保護を受けていると知っておきながらひぃなに言い寄るなんて……不躾極まりないではないか。
  そんな神祇にはお仕置きが必要というわけなんだよ、ひぃな。それに……ひぃなの家には私の結界が張ってあるんだ。それを通過してまでも会いに行くなんて……じゃなくて、通過したら私だって気が付くさ」
 いくらなんでも自分の結界なんだから。と付け足す。笑ってはいるが、その目はもう笑ってなどいない。ひぃなはそれを確認すると、今朝の神祇は彼による『お仕置き』とやらが増えそうだという予感がした。ひぃなはどこか遠くを見ながら心の中で呟いた。名も知らぬ今朝の神祇よ……私、あなたに同情します。明日まで、生きていられるといいですね……――


 「送ってくれてありがと、誘祇。
  今日も授業頑張ってくるわね」
 「うん。どういたしまして。何か困ったことがあったら、すぐに呼ぶんだよ?」
 首を傾けつつそう言う誘祇は、心配そうだ。もし、ひぃな以外の人間が誘祇にこんな風にされたとしたら、きっと卒倒するのであろう。顔のつくりだけでも行えるだろうが、なんと言ったって彼の属性は『誘惑』であるから……――
 とはいえ、もう長年の知り合いになりつつあるひぃなにとっては慣れきったことなのであった。
 「大丈夫だよ、誘祇。じゃ、いってきます」
 「心配だなぁ……いってらっしゃい」
 ひぃなが校舎の中に消えるのを確認してから、誘祇は満足そうに頷くと仕事場へと戻っていった。

 「おはよう、ひぃな。今日もあの御方に送ってきてもらったの?」
 「あ、おはよう水鶏(くいな)。うん。そうだよ。誘祇ったら過保護だから……」
 挨拶をしてきたのは、肩まで伸びた髪を緩く結わえた少女である。綺麗な黒髪がさらさらと揺れる。ひぃなと同じ組の姫巫女候補だ。彼女は最近ようやく誘祇に慣れてきたらしく、彼に向けた尊敬語の扱いが緩やかになっている。ひぃなとは幼少の頃からの親友であり、代々決まった神に仕えることになっている由緒正しいお家柄だったりする。
 「今日の授業って、実践だったよね?大丈夫かな……私たち」
 「大丈夫よ。数人でまとまっての行動にきまってるもん」
 不安そうに言う水鶏と余裕げに言うひぃな。これでも、二人は組では一番を争う程の優秀な人材なのだ。もう一人一番を争う人間がいるのだが、まだ登校してきていないようだ。
 「それにしても」
 とひぃなは言う。
 「あと少しで遅刻、よね。棕櫚(しゅろ)ったら――」
 「俺の……っ、噂してやがんな?間に合ったぞ、時間」
 息を切らしながら、教室へと入って来た少年はひぃなの机に手をついて言う。釣り気味の目は、猫のようだ。だが、言葉遣いとは程遠く髪の毛をきちんと後ろで束ねており、黙ってさえいれば麗しい容姿をしていた。そう、黙ってさえいれば。
 「仕方ねぇだろ?可愛くて美くしい自分の嫁さんが、俺のこと放してくれねぇんだからよ……
  つい、こう……旦那として、いや……男としてさぁ――」
 ばきゃっ
 棕櫚は、後ろに突然現れた黒い気を纏った誘祇に張り倒された。
 「ひぃなの前で汚らしい……
 「い……誘祇……」
 流石のひぃなも、突然のことに一瞬呆けていた。水鶏に関しては……怯えていた。言わずもがな、当事者である誘祇はあたりに黒い気を撒き散らしている。原因を作った棕櫚は、完全に伸びていた。同じ組の人間は「またかよ」と心の中で思いながら、四人を遠巻きに見守っている。
 「誘祇」
 「何だい?ひぃな」
 ひぃなの呼びかけに、振り向いた誘祇はそのまま笑顔を凍らせた。
 「仕事はどうしたのかな?誘祇のお姉さんである草薙祇(くさなぎ)姉さんが、すごい勢いで誘祇を睨んでるんだけど……?」
 そういうひぃなもすごい形相だ。草薙祇と一組にしてみれば、恐ろしさも倍増である。
 「誘祇、どうしてこんな所で遊んでいるのかしら……?」
 草薙祇は誘祇同様に伸ばした髪を弄びながら、誘祇に視線を送っている。誘祇は、まるで蛇に睨まれたかのように動かない。そんな膠着状態が暫く続き――
 「さ、愚弟よ。書類が溜まっている。十巻はあるからね!」
 という草薙祇の声と共に神祇の二人は消えていった。

 「何だったんだ?あれ……」
 と、目が覚めた棕櫚が最後に呟いた。

*****

 「今日の授業は、野外での実践です」
 校庭に出たひぃな達は、説明をしている教師の話を聞いている。外で実践できることに対して不安をもつ者もいれば、逆に好奇心を隠せずそわそわとしている者もいる。ひぃなは教師の話を冷静に聞いているが、両隣では水鶏(くいな)棕櫚(しゅろ)がその二通りの人間を忠実に再現していた。
 「ひぃな、棕櫚、どうしよう。私できないかも……」
 「今日は俺が一番取ってやるから、覚悟しとけよ……っ!」
 ひぃなはそんな二人をちらりと横目で見てから、やる気の無い声で言った。
 「はいはい、二人とも落ち着いてねー」



 教師の説明を大まかにいうと、こうだ。
 崩祇(ほうぎ)を授業のために封じている区域がある。そこにいる崩祇を単独で一人一体を倒すこと。この組で倒すことのできない強さの崩祇は中央に封じられているから、奥まで行かなければ遭遇することはまずないこと。
 手におえない崩祇が現れたら、即座に術式で帰還する(逃げる)こと。
 自分の身の安全を第一に考えること――
 以上だ。

 今までのは四、五人で班をつくり一体の崩祇を倒す。といった形での実践だった。だが、今回のは単独での行動だ。危険度は当然あがる。今までと比べたら難易度は高い。
 力の小さい崩祇を発見できれば、今回の実践は簡単である。逆に倒せない強さではないにしろ、力の大きな崩祇であったならば倒すのは困難になる。班では分担できていた役割も、すべて自分一人でするしかないこの実践は、ある意味強くない崩祇に出会えるかどうかが要点となる。つまり運次第だともいえなくもない。


   「さ、実践開始です。くれぐれも大怪我のないように!」








 「きゃー、こっちこないで!!」
 「うおっ!?なんだこりゃ!」
 「何かいる!!!」
 「あ〜ん、泥だらけぇー」
 開始数分が経った。あちらこちらで奮闘しているであろう生徒達の叫び声が聞こえる。崩祇ではなく普通の蛇を見つけ逃げる者。生徒の張った罠に見事引っかかった者。崩祇を発見できた者。更には勝手に転んで泥だらけになる者もいた。
 「……ふん」
 そんな中で、棕櫚は油断している崩祇の隙をみた奇襲に成功し、見事に一撃で倒していた。水鶏の方は罠を張り、崩祇が引っかかるのを待っていたが他の生徒が何故か引っかかってしまい、彼女の作戦は無駄に終わってしまった。
 ひぃなはというと――……
 「早くっ……あなたは先生を呼びに行きなさい!」
 中央部から騒ぎを嗅ぎつけた崩祇の襲撃に遭った生徒を庇っていた。
 「あなた程度の崩祇なら、私にだって倒せるわ」
 「ほぅ。進んで我の糧になろうと言うのか」
 崩祇はひぃなを嘲笑(あざわら)う。ひぃなは内心驚いていた。崩祇で言葉をきちんと話せるほど自我のはっきりしている者は、力の強い者と決まっている。狂気に身を任せて崩祇となった者ではなく、自らの意思や目的の為に崩祇となった者は、元はそれなりに実力のある神祇だったりする場合が多い。この崩祇は後者であるのだろう。
 崩祇は武士の様な格好をしており、ひぃなに向けて正眼の構えを取っている。ひぃな達巫女の大抵は戦闘に符を使う。術対術である場合は、その方が戦いやすいのだ。崩祇が刀を使用している場合、巫女は符だけでは不利である。ただの人間ならば符でも対応できるが、崩祇は術も発動できるのだ。巫女が刀をよけた瞬間に崩祇の術が発動することだって起こり得る。
 やはり符だけを用いるのでは分が悪すぎる。そう考えたひぃなは術式の書かれていない符を一枚取り出すと、指を傷付け術式を血で書いた。その符を口元に添え、小さく呪言を唱える。崩祇はその様子を面白そうに眺めていた。
 「我が願い、我が力、この刃とならんことを……!」

 ひぃなが放った言葉に共鳴するかのように、符が光る刀となった。崩祇はそれを見ると、ほぅと小さく息を吐き目を細めた。楽しそうである。元々力のある神祇であった彼にはこの娘がどれだけの力を持ち、使いこなせているのかが分かったのだ。この刀を具現化する術式はまだ彼女の年齢では習っているはずがない。力の消費が激しい上に、操ることが難しいとされているからだ。それを彼女は見事にやってのけた。それも、呼吸をするが如く自然に。
 「崩祇よ。ここで退くか?それとも、態々やられに?」





 「せ……先生!」
 「んぁ?どうした、そんなんじゃ伝える物も伝えらんねぇぜ」
 走ってきた生徒に向かって、教師の隣で暇そうにしている棕櫚が言った。でも、と生徒は言う。その様子に教師も棕櫚も何と無しに顔が引き締まる。
 「ひぃなさんが、私を庇って強そうな崩祇と――」
 「あの莫迦……」
 「な……っ!」
 棕櫚の顔は険しく、教師の顔は真っ青になっていた。そして、棕櫚の方はすぐさま生徒のやって来た方向へ走り出した。
 「間に合えよ……くそっ」











 「なかなかであるな、姫巫女候補よ」
 「別に……っ」
 崩祇は素早かった。ひぃなは、苛々している。どうも遊ばれているような気がしてならないのだ。崩祇は攻撃などせず、ずっと守りに徹している。それも楽しそうに。ひぃなはそれが気に食わない。
 「誘祇上(いざなぎのかみ)の匂いがしておる。彼の御方との関わりが気になるでなぁ」
 崩祇は聞く。ひぃなはムッとする。
 「誘祇は関係ないでしょっ」
 「いやいや、お主が誘祇上が寵愛している姫であったら事だからのぉ」
 ひぃなは機嫌がすこぶる悪くなるのを感じた。
 「何が事、よ……。
  さっさと倒されてしまいなさい、この腐れ崩祇!」
 崩祇はそんなひぃなを見ながら、楽しそうに笑う。
 「なかなかにおもしろい姫巫女候補だ。誘祇上がお主を気に入り、寵愛の対象にするのも頷けるわ。
  しかし、彼の御方は姫巫女をとらぬと勝手に誓いおるからなぁ……」
 ふむ、と頷く崩祇にひぃなは「隙有り」と刀を下ろすが軽くかわされる。そろそろひぃなは辛くなってきた。そもそも刀を維持し続けること自体が難しいことなのだ。それを、かれこれ10分近く保っている。これが崩祇の戦略だとしたらなかなかなものである。
 それ以上に、誘祇が姫巫女をとらないと言い張っていることを崩祇に指摘されることが辛い。自分は彼の姫巫女になるためにこうして崩祇と対峙しているのだから。
 「おや、姫巫女候補よ。そろそろ力尽き始めたのか?」
 「おかげさまで、力は沢山残ってるみたいだけど体力が尽き始めてるわ…」
 そう言い放つひぃなに、崩祇は笑みを深くする。
 「お主の巫力は素晴らしく多いのだなぁ。しかしのぉ、人間にしては多すぎるのではないか?」
 「そうでしょうね。私だって元々の巫力がどれくらいあるのかさえ、分からないんだから」






 「姉上」
 「さっさと仕事をしなさい。愚弟」
 「ひぃなが戦闘をしている。気になる。気になって仕事なんか手に着かないくらい気になる。
 何か、いやな予感がする。あぁ……もう駄目だ」

 「駄目なのは、あんたの頭でしょ!」
 すぱこーんという、とてもいい音が仕事部屋に響き渡った。



 「元々の巫力の大きさが分からない?」
 「そう。だから、あまり巫力の無駄遣いは出来ないの。
  いつ、尽きてしまうか分からないから」
 崩祇が表情を硬くしたのに、ひぃなは面倒だというように答えた。すでに、二人とも戦闘態勢を崩してしまっている。
 「それは違うぞ、姫巫女候補よ。
  そうではなく、いつ…身体が耐えきれなくなるか。であろう?」
 ひぃなは流石は元上級の神祇だと少し眉を上げ、答えた。
 「よく知っているじゃない。私の場合は元々の巫力が人間の身体で収まりきらないから、常に巫力垂れ流し状態なの。だからと言って、巫力を出せばいいというわけではない。
  要するに、この身体がいつまで持つか分からない。巫力を出そうとすればするほど、負荷がかかる。そう言いたいんでしょ?」
 「その通りだとも。お主は……そのまま姫巫女になれば、恐らく神祇の力に身体が耐えきれず死ぬことになる。
  お主は、力のない神祇とでしか契約することは出来ぬぞ」
 「………それくらい、分かっているつもりよ」
 ひぃなは俯く。表情は暗い。
 「それでも。私は……誘祇の姫巫女になりたい。
  それに、すぐに死ぬ訳じゃないわ。暫く経ってから、徐々に肉体が崩壊していくんだもの」
 「その苦痛に耐えられるのか?お主は……」
 ひぃなは、崩祇へと向き合った。そして自信ありげに、言い放つ。
 「耐えられないほどだったとしても、私は耐えてみせるわ」



 「そうか……」
 「だから、立派な姫巫女になるためにも…あなたを斃します」
 そう言い、ひぃなは再び刀を具現化させた。額には玉の汗が浮かんでいる。崩祇は、首を横に振るとひぃなへと言った。
 「それ以上は、駄目だ。我が、お主についてよく教師へ言ってあげるから、力を使うのはよせ」
 「私は、崩祇を斃してないのに?」
 崩祇は頷いた。
 「我は、崩祇ではあるがここの崩祇たちの取り纏め役なんでなぁ。
  我がお主に征伐されてしまったら、それこそ大問題となってしまう。
  その上、これ以上お主に力を使わせたら誘祇上に殺されてしまうでな」
 「その言葉…信用するわ」
 そう言ってひいなは膝をついた。崩祇はゆるりと姿を消した。それから、しばらくの後に棕櫚が現れた。
 「ひぃな、大丈夫か?というか、身体はどうだ??」
 「棕櫚……力、使いすぎたかもしれない……。
  気持ち、悪い…ぅぷ」
 「げっ、ち…ちょっと、吐くな!」
 嘔吐したものは、朝食でも胃液でもなかった。紅い、鮮血。
 「あー…誘祇に、秘密にしておいて……」
 「……ひぃな。出来ればしておいてやる」
 棕櫚は、軽く言ってくるひぃなに合わせて答えを返した。
 「今日は、どこの内臓やられたんだろう……?」
 ひぃなは目を閉じて、眠りについた。
 背後には、慌てた教師が近くに見えてきていた。


 暖かみの薄れた姫巫女候補と、彼女を(いだ)き沈黙する神凪(かんなぎ)の姿があった。

*****

 「ひぃなさんは……」
 「……」
 質問する教師に棕櫚(しゅろ) は返事をしない。ひぃなは棕櫚に抱きかか えられ横になっている。
 柔らかな風が彼らを包み込み、そして現れた。



 「誘祇(いざなぎ)……」
 「ひぃなは……っ」
 誘祇は銀色に似たその透明で美しい髪を後ろで揺らめかしながらひぃなを抱きか かえている棕櫚に近寄っていく。棕櫚は誘祇が 現れたことに安堵のため息をつく。誘祇は不安げにひぃなを見つめる。その眉間に は皺が寄っていた。
 「力を…使ったのだね……」
 誘祇は(うやうや)しく ひぃなを棕櫚から受け取り、横たえる。ひぃな は温かみが失せ始めている。血の気の引いたひぃなは青白く、だがそれ故の美しさ を見せていた。
 誘祇はひぃなの額に左手を乗せ、右手でひぃなの上を滑らせる。右手は微かに光 を発している。誘祇の右手がひぃなの腹部で止 まる。
 「………」
 誘祇が沈黙していると、棕櫚は心得ていると言うかのように頷く。
 「先生。とりあえず後ろ向いて〜
  誘祇が困ってる」
 そう教師に言い、後ろに向かせた。誘祇はそれを確認するとひぃなの着物をはだ けさせた。ひぃなの胸部と腹部がさらけ出され る。棕櫚は事もなさげに見ているが、教師の方は何が起きているのか気になってし ょうがないらしい。
 誘祇は先ほど右手を止めた部分に顔を寄せるとその部分に唇を付け、小さく呪を 唱える。誘祇の長く美しい髪が風をうけたかの ようにたなびく。誘祇の呪に反応して、光が生まれた。その光は、誘祇が口付けて いる部分へと集中しひぃなの中へ収まった。先程よりも幾ばくかひぃなの顔色は良 くなっている。
 誘祇と棕櫚はそれをみとめ、安堵する。教師は、後ろを向いたまま何がどうなっ たのか未だに理解できていない。誘祇は、すぐにひぃなの着物を元に戻した。そし て、棕櫚へと向き合う。
 「消費が激しい、か…?」
 棕櫚の言葉に、誘祇は申し訳なさそうに頷いた。棕櫚は軽く溜息をつき、軽く笑 った。
 「いいよ。ひぃなが悲しむのは俺だって厭だからな。
  女じゃなくて申し訳ないが……我慢してくれよ〜」
 「済まない。棕櫚」
 軽口をたたく棕櫚に、誘祇は口付けた。誘祇はじんと広がる巫力の感覚に蕩けそうな笑みを浮かべる。棕櫚は巫力を吸われた為に汗が滲んでいる。
 「巫力、どれだけ吸ってんだよ……」
 「つい……済まないね、棕櫚」
 あーあー、それもこれも全部このひぃなの為だもんなぁ。と棕櫚は苦笑気味に笑う。所詮はひぃなに恋をした男の一人。結局のところ憎めないのだ。今は神凪(かんなぎ)として結婚している身ではあるが、以前棕櫚はひぃなに恋をしていた時期があった。今でも、人間の女では一番ひぃなが好きなのである。
 「でも」
 「ん?」
 誘祇は眉を寄せる。棕櫚は黙って聞いている。
 「ひぃなが無事でよかった。と言いたいところだけど…
  身体の崩壊具合が芳しくないんだ。私が視た当初は、この程度の崩壊はまだ起きていないはずだったんだから」
 「……」
 「棕櫚、どうしよう。こうやって私は治療も込めて彼女の崩壊が進まないように努力はしているけれど、崩壊の進度の方が早いかもしれない。
  私は……ひぃなを、なるべく長生きして良い思い出でいっぱいにして…………そして、見送りたいのに」
 「誘祇……」
 棕櫚は、初めて見た。誘祇がここまで弱音を吐き、表情を歪めるところを。棕櫚にとっての誘祇は飄々(ひょうひょう)としていてつかみ所のない神祇であり、いつも強気で弱音などとは無縁の存在だったのだ。棕櫚はひぃなのことを誘祇がどれほど想っているかを改めて知ったのだった。
 「誘祇上(いざなぎのかみ)よ。
  我が、この姫巫女候補と戦った崩祇ぞ」
 誘祇の背後に静かに崩祇が現れた。さりげなく崩祇は棕櫚が誘祇に近づいたあたりから結界を張り、教師のいる場所とこの場所を隔離して時期を待っていたのだ。誘祇は気がついてはいたが、別に気にはしていなかった。この崩祇は見知った者なのだ。
 「そうか。お前か……。
  なるほど、ひぃなが意地を張って力を出すわけだ」
 「すまぬな。つい、からかいたくなってしもうた。
  これほどの者とはつゆ知らず。申し訳ない」
 「いや、それは別に気にしていないから大丈夫だよ。地祇」
 地祇と呼ばれた崩祇は、表情を崩すと風に包まれた。その風が静まった頃には先ほどの崩祇の姿はなく、若い青年の姿があった。地祇はにやりと笑い、それを見た誘祇は情けなさそうに笑った。
 「ああいう可愛い女の子を見ると、ついからかいたくなっちまうんだ。
  誘祇も可愛いからからかいたくなるしなー。俺もまだまだだな」
 「私は可愛い訳じゃぁないんだけど」
 「ちょっと待て。誘祇」
 にこやかに話し始めた二人の神祇に棕櫚はつっこんだ。
 「どうかしたの?棕櫚」
 「どうかしたのじゃねぇって。
  ここを統括してる奴は崩祇じゃなくて、崩祇に扮した神祇だったつーのか?」
 「あぁ、うん。そうだよ?」
 知らなかったのかという言い方をする誘祇に棕櫚は切れた。
 「だったら、ひぃながこんなんになる前に止めてやればよかっただろ!」
 地祇は棕櫚を一別すると、和やかに言った。
 「お嬢ちゃんは、逃げる俺をずっと攻撃してたんだ。
  俺が何言っても無駄だと考えるのが筋じゃねぇか?」
 「そりゃ、そうだけど……」
 「お嬢ちゃん自身、俺に誘祇の名を出されて苛立っていたからな。
  俺のせいだって言われても俺は否定しないよ」
 そう言われると、棕櫚は沈黙するしかなかった。自分の非を認めている者に向けてわざわざ叱ることもない。
 「地祇、棕櫚を苛めちゃだめだよ。
  彼はこう見えても意外に純粋な少年なんだから」
 「意外に言うなよ、このへたれ神祇」
 「そんなこと言われても、私は何も動じないよ。あと地祇、お嬢ちゃんじゃなくてひぃなだよ」
 誘祇は呆れ顔で棕櫚と地祇に言う。そう言われた地祇は「ひぃなひぃな……」と口ずさむ。
 「まぁ、そんなことはどうでも良いから棕櫚」
 「あぁ?」
 「ひぃなを保健室に連れて行って寝かせておいてくれないか?」
  こんな処で眠らせておくなんて最低だ。と言いながら誘祇は棕櫚の背中を押す。棕櫚は仕方ないなと首を竦め、ひぃなを抱き上げた。
 「ひぃなを起こさないように、慎重に運ぶんだよー」
 「くれぐれも変な気起こすんじゃねぇぞ〜」
 「妻帯者に何言ってんだよ。この腐れ崩祇」
 変なことを言ってきた地祇に棕櫚は小さく悪態をつく。
 「聞こえてんぞ!」
 「はっ」
 「二人とも、楽しそうだね。
  さて、私はそろそろ仕事に戻らないと。こっちに来るときに妨害してきた姉上を吹っ飛ばしてきちゃったからなぁ……」
 どうしよう、今度こそ殺されちゃうかも。と涙目で地祇に訴える誘祇。地祇は「ひぃなの為に死ねるなら本望だろ、お前」と言って笑った。



 「確かに、それは幸せな死に方だ」
 「そんなことになったら、きっとお前は彼女に嫌われるだろうがな」





 誘祇が家に戻ると、目の前に影ができた。
 「誘祇」
 「姉……上」
 誘祇は嫌な汗を背にかき始めた。草薙祇(くさなぎ)の顔は歪み、何ともいえない恐ろしさを醸し出している。
 「先程はどうしたのかしらぁ?」
 「あ……姉」
 「人のこと吹っ飛ばして!仕事も吹っ飛ばして何しに行っていたの!?」
 草薙祇の言葉に反応して辺りにある物がかたかたと音を立てている。今にも誘祇に飛んできそうだ。誘祇は恐怖のあまり震えている。
 「えと、そのですね……」
 「うん?」
 「その…ひぃなが、危険だったから……」
 誘祇は草薙祇に圧倒されて、どんどん声が小さくなっていく。
 「誘祇、あなたは何をするために存在しているの?
  ひぃなを守るためじゃないでしょう。この国を守るために存在しているの」
 「そう、だけど──」
 草薙祇は誘祇を諭すかのようにゆっくりと静かに言った。
 「私たちは神祇よ。人間を正しい道へと導くべき存在。
  その中でも私たちは創世に携わった神祇である伊弉諾尊(父上)の後継よ。名を継いだのはあなた──誘祇──でしょう。
  あなたの兄二人が現在不在であり、私はあなたのお目付役。兼、いざというときの代替え。
  そして何より、父上はあなたを後継に選んだ──……」
 草薙祇は誘祇に近づきそっと頬に触れる。そして慈しむように微笑んだ。
 「どんなに辛かろうと、それは変えられることの出来ない事。
  心配ならば、姫巫女として迎えてしまえばいい。どういう結果を招くかはあなた次第よ。
  一応知っているのではなくて?彼女の血筋を見れば、不可能ではないは──」
 「姉上」
 草薙祇を諫めるように言葉を挟む。一方彼女は苦笑気味に答えた。
 「まだ、姫巫女はいらないと言うのね。その上、あんな封印もしちゃって厳重な事この上ない」
 「いいんだ。私には、彼女は眩しすぎるよ……」
 誘祇は軽く頭を振ると頬にあった姉の手を離させ、「仕事に戻る」と姿を消した。残された草薙祇は俯く。
 「私は、どっちにも幸せになって欲しいだけなんだけどな…
  でも、結局決まり事に関して厳しくやらないと下々の神祇に立つ瀬無いからつい、ね」
 「貴女はそのままで良いんだよ。彼が変わらないといけない問題なんだから」
 後ろから草薙祇を抱きしめる形で現れた一人の神凪。その顔は柔らかく微笑みを刻んでいる。彼に目を向けると、草薙祇は表情を和らげた。
 「分かっているのよ。だけどやっぱり心配でねぇ」
 「世話を焼きすぎるのも、問題だよ」
 九幻(くげん)は嫉妬しすぎよ。と草薙祇は笑う。しょうがないじゃないかと九幻と呼ばれたその神凪は彼女を抱く力を更に込めた。


*****


 静かな空間に一人 ひぃなは眠っている。その肌は血色がよくなっている。淡い朱を差したような唇に頬は可愛らしさというよりは、妖艶さをたたえていた。
 「んぅ」
 瞼が数度揺れた後に瞼が開き、瞳が現れる。その瞳に映った物は――
 「白、白、白……
  あぁ、ここ――保健室ね…」
 小さく欠伸をする姿は先程の妖艶さはなく、どちらかというと可愛らしい小動物のようであった。ひぃなはきょろきょろと辺りを見回すと、小さく背伸びをする。そして近くにある窓から校庭を見渡し自分の身に起きたことを考えた。



 力の使いすぎで、自分は倒れたのだろう。きっと棕櫚(しゅろ)がここまで運んできたのだろうが……
 「問題は、完全回復しているという事よね…」
 ひぃなはふぅと息を吐くと自分の手を腹部へと当てる。力の使いすぎで体に不具合が起きたはずだ。だが、その気配は全くない。まるで何者かが癒しを行ったかのようである。
 棕櫚が行ったとは思えない。癒しは彼の不得意とする分野である。だからといって水鶏(くいな)が行ったとも思えない。確かに癒しは彼女の得意とする分野ではあるが、ここまで完璧な癒しが行われるのを見たことがないからだ。確率が高いのは、あの崩祇(ほうぎ)だ。
 「………あいつは、偽物だものね」
 倒れる直前に視たものは、神気を纏った青年の姿だった。雰囲気はあの崩祇であったが、間違いなくあれは神祇としての風格を持っていた。よくよく考えてみれば、崩祇が重要な役割を任されることは有り得ない。力を持たせれば叛乱する可能性が高くなるのにわざわざその種を撒く様な事はしないだろう。高位の崩祇ならばなおさらである。高位の崩祇に下位の崩祇の管理を任せれば一つの軍を成すことも出来る。
 ならば、神祇に崩祇の真似事をさせて崩祇の統一を図れば良い。たとえ崩祇に扮した神祇であってもより自分らに近い者が統率をするとなれば、下級の崩祇は素直に従うであろう。
  下級の崩祇には殆ど自我が残っていない。ただ、自分らに近く強い力を持つ者には惹かれる習性がある。その習性を巧みに利用したかなり賢い考えである。
 「誘祇は……当然、誘祇が指示しているのよね?」
 ひぃなは振り向くと、いつの間にか顕現していた崩祇――否、地祇である――へと問いかける。
 「ほぅ、すぐに気が付くたぁなかなかじゃねぇか」
 「莫迦にしないで頂戴」
 じろりと睨むひぃなに地祇は楽しそうに笑う。
 「元気そうで何よりだ。俺等心配してたんだからな?」
 地祇はそう言うと、ひぃなに近づきその頭を軽く叩く。
 「子供扱いしないで」
 こりゃ失礼、と笑いながら手をどける地祇ではあるが。ひぃなは軽く話題が逸れていることに何となくムッとしていた。
 「私のした質問の答えは?
  それと、先生はどうしたの?」
 話をずらしてもすぐに元通りかよと悪態を吐くも、素直に答えを言う。
 「誘祇上(いざなぎのかみ)が指示したに決まってる。姫巫女や神凪(かんなぎ)の育成には崩祇を倒す練習が出来ないと困るからな。経験も積まなきゃなんねぇし。
 で、俺のことを見てびびってたあの教師のことなら……あんまし役に立たなそうだったから放置したぜ」
 ひぃなは眉を寄せる。地祇は続けた。
 「これしきのことで一々表情を崩すほど動揺してたら実際に何か大事が起きたときには全く戦力にならん。
  教師としてはどうかとは思ったが……まぁ、今は平和だしな」
 「……」
 ふぅと息を吐くとひぃなへと地祇は笑った。



 「でさ。ひぃなちゃん。誘祇の何?」
 「やっぱりぶち殺す……」




 見知った気配と共に扉が開かれる。
 「ひぃな。大丈夫かー?」
 「もう大丈夫。というか、今から帰り?」
 棕櫚はひぃなの元通りになった顔色を見るなり安心して微笑んだ。だがひぃなの声を聞いて一瞬固まった。
 「誘祇の家に行くわよ」
 ひぃなは静かに怒っていた。いつもは煩いくらいに行動に出すというのに、今回は静かに怒っていた。
 「えっと、ひぃなさん……?」
 どこかぎこちない笑みを浮かべ棕櫚は聞いた。
 「誘祇に話を聞かなきゃいけないことが出来たみたいなの」
 うわ。しっかりばれてる……?と内心びくびくする棕櫚であった。




 「誘祇――あいつは、姫巫女を娶らないと誓っているぞ。
  それでもあいつの姫巫女になりたいのか?自分の身体が持たないと知っていても」
 「それでも、私はなりたい。誘祇……寂しそうだから。
  誘祇には姫巫女が必要だよ。そりゃ、私自身の意志でもあるけれど」
 地祇は、それを聞くと微笑んだ。そして軽くひぃなを抱き寄せる。
 「そこまで言うひぃなちゃんには良いことを教えてあげよう」
 「?」
 ひぃなの耳に口を寄せて地祇は呟いた。


 「お前の崩壊しかけた身体を完全に癒して……崩壊の速度を遅くしようと苦悩しているのは誘祇だよ」

 「お前の為に、無駄に力を消費している。この世界の為ではなく、お前の為に」

 「誘祇は、ちゃんと……見ている。ただ一人の大切な娘だと慈しんでいるよ――」









 「誘祇」
 「あれ……ひぃな?」
 突然の来訪客に誘祇は不思議がる。どうしてここに来たんだい?と。しかし、ひぃなは答えない。
 「棕櫚、私は仕事で迎えに行けないとか言ったっけ?」
 「いや。これはひぃなの意志だ」
 棕櫚はそう言って頭を振った。誘祇は訳が分からないという風に眉を寄せる。
 「――誘祇」

 ひぃなに返事をしようとするが、誘祇ははっと息を呑んだ。ひぃなの中に微かな闇を視たからだ。棕櫚は静かに部屋を去っていった。部屋にはひぃなと誘祇の二人が残された。だが、ひぃなはまだ口をつぐんでいる。
 「あなたは――」
 顔を上げたかと思うと、また顔を下げて口を閉ざしてしまう。誘祇はその様子を訝しがりながらも、彼女が言い出すまで沈黙を守っている。ひぃなは何度かそのような行動を繰り返した末、勢いよく顔を上げた。
 「あなたは何故、私に此処まで手をかけるのですか?
  私には理解できません。何故……私の為に力を無駄に使用するのですか」
 「…………」
 誘祇は答えない。ひぃなは続ける。
 「今日の私を癒してくださったのはあなたでしょう?
  偽物の崩祇と会話した際に、気が付いたの。棕櫚は得意じゃないし水鶏はあそこまでの実力を出せるほど上達していなかったはず。
  そこで残ったのは偽物の崩祇。でも、彼は違った。」
 「…………」
 ひぃなは寂しそうに微笑み、誘祇に視線を戻した。
 「癒しの術を完璧に使えて、私と親しくしていてすぐに吹っ飛んでくるのはあなたしかいない」
 「――っ」
 「私は、あなたのお荷物になるために生きている訳じゃないのに……!」
 ひぃなは俯いた。誘祇は何も言わない。否、何も言えないでいる。ひぃなの言っていることは真実であり、否定できる部分はない。もちろん誘祇は一度もひぃなの事を荷物だとは思ったことなどないのだが、それを言ったところで何も変わることはないだろうからだ。
 「私は、あなたの役に立ちたいだけなの。私は……誘祇のお荷物になりたい訳じゃない。
  ずっと側にいたいだけ。私の命続く限り側に――」
 ひぃなの声が揺れている。誘祇はようやく口を開いた。彼女の中に(くすぶ)る闇を捉えた。
 「ひぃな……私が勝手に行っていることなんだ。
  そもそも、あの時に出会わなかったならば…私はこの様なことは喩えひぃなの噂を聞きつけたとしてもしなかっただろう。
  結局、私の気紛れ。ひぃなが気に病むことはない。
  ひぃなの最後を看取るまでは消えないと以前約束したのだから、守るさ――」


 ひぃなが畏れる事は、ただ一つ。
 誘祇に嫌われることでも彼の荷物になることでもない。

 誘祇が居なくなること――――

 それだけなのだ。
 ひぃなは、この神に見捨てられることよりも彼の者がこの世界より消え失せてしまうことを畏れている。
 誰よりも慕うこの神を――

 誘祇はそっとひぃなを抱き寄せる。壊れ物を扱うかの様に。そして、慈しむかのように。その行動にひぃなは少々驚くもその温もりに安堵し、体を預けた。そして二人は互いの温もりに嬉しくも悲しみを覚えるのである。
 ひぃなの思惑は誘祇を悩ませ、決意は誘祇に揺さぶりをかける。だが、決してひぃなには誘祇の思惑は伝わらない。彼が真に考え望んでいることを、伝えようとはしないのだ。
 「ひぃな。私は約束を守りたい……」
 「誘祇――」
 微かに誘祇の腕に力が込められる。ひぃなはそれに気付くも身じろぎせず、ただ顔を上げる。
 「でも、私はひぃなを出来るだけ……この世界を楽しみ、後悔の無い生を生きて欲しい。
  その為にならば、惜しみなく力を使うよ」



 だからね。ひぃなとの約束は守りたいけれど、守れない……
 守りたいと願うが、それは叶わぬ願い――
 私は……今や、消えゆく者なのだから。

第一話:姫巫女になるということ 了




lll back lll top lll novels top lll next lll