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 神祇は時に自己中心的だ。
 頭にくるくらい、己のことしか考えていない時がある。
 呆れ返るくらい、阿呆じみたことを頼んでくる時がある。
 特に、とある姫巫女候補に対しての執着ぶりは俺自身辟易するくらいだ。
 確かにひぃなはすばらしい女性ではあるが。
 あの神祇は異様なほど執着している。


 ひぃなに執着している神祇は誘祇(いざなぎという。
 そいつは神祇の長である。
 なのに一人の女の為に力を無駄に消費している。
 更に言えば、姫巫女を持たない上に神凪(かんなぎ)である俺の力を吸って補給している。


 俺は、御前の小間使いじゃない。
 いや…ひぃなの事は好きだが――
 取り敢えず、あまり俺をこき使わないでくれ。
 御前が消滅する前に、俺が逝く。
 確かに誘祇の姉である草薙祇(くさなぎ)から連想できる言葉は「恐妻家」だと俺は思うが。
 そこまで彼女を畏れなくても別に良いとは思うぞ。


 そんなことは、本人の目の前で言ったらいじけるから言えないんだが……



神祇の宴
第一紀「宴」
 第二話:棕櫚(しゅろ)の災難




 突然ソレは現れた。
 「……」
 ……………。
 「おい」
 今、とある変態の神祇が俺が寝ている布団の上に乗っかっている。更に言えば、布団の中に俺は横になっているわけで…――
 「重い。どけ…」
 もっと更に言えば、横には愛しい妻がいるわけで……。因みに妻はにこにこと微笑んで笑っているが、かなり不機嫌そうだ。やや細めの目を更に細めて笑っている。が、目は笑っていない。
 「しゅ〜ぅろ〜〜」
 がばっ
 「ぐぇ…」
 堂々とこの寝屋に現れ、妻に文句を言わせず、寝ている俺に抱きついてきたのは 何を隠そうこの祇神羅国(ぎしらこく)の長である誘祇だ。誘祇よ。無断侵入は、いけないという事になっていたのではないか?
 ちなみに妻は長くさらさらとした、かつ艶やかな髪をもてあそんでいる。だが俺は誘祇の重量に耐えきれず潰れかけている。
 「棕櫚。君に、とってもとっても重大かつ重要なお願いをしに来たんだ」
 うゎ…最悪。きっと無理難題を押しつけるに決まってる。あぁ。今回は何なのだろうか。
 生死に関わるような物でなければ良いのだが…。と考えていると誘祇は再び口を開いた。
 「一週間、ひぃなを頼むよ。ちゃんとしっかりきちんと護ってあげるんだよ??
  要するに…『棕櫚、暫くひぃなの登下校も頼んで良い?』って事」
 「おいおい…ずいぶんとまた、自己中心的な発言というかお願いというか……」
 威張っているかの如く、胸を張って言う誘祇に俺は辟易しながら呟いた。そうとはいえ、断れないのが俺だったりする。あぁ嫌だ。
 ちなみに、俺はひぃなが学校にいる間の護衛をしている。ひぃなは多分気が付いていないのだろうが…
 「だめ?ひぃなを魔の手から護っていてほしいんだよ。
  私はこの一週間、仕事を頑張らねばいけぬから」
 「あぁ…草薙祇のねーさんに怒られたんだな?おおかた、『一週間ひぃな禁止令』でも出されたんだろお前…」
 図星らしく誘祇は「うむぅ」と唸り…顔を上げた。
 「だから、君に頼んで居るんじゃないか」



 「こいつ、開き直りやがった…」



 「あれ?棕櫚、おはよう
  何でいざな――」
 「誘祇なら、一週間仕事。
  送り迎えが出来ないから俺が代わりにすることになった」
 少し寂しそうにひぃなは「そうなんだ」と言った。
 あぁくそ。俺はこういう顔するひぃなが見たいためにこんな事してるんじゃねぇぞ。俺は心の中で誘祇に悪態を吐きながら一応周辺に気を配る。
 「まぁ、大方お前のことばっかり考えていて仕事ぼけーっとしてたから誘祇のねーさんの制裁が下ったんだろ」
 「誘祇ったら、またそんな事してたんだ」
 少し元気になってもらえたらしい。あーあ、俺は何でこんな事しなきゃならねーんだろ……?隣でひぃなが少しほほえんでくれたのに、後ろには怪しい神祇の陰が。ひぃな、気が付こうぜ。奴の目当てはお前なんだから。
 「ひぃな、また変なのに取り憑かれてる?」
 そう聞けば「あれ?」という始末。こいつ、誘祇に護られるのが当然になっててこういう関連には疎くなってやがるな?それか、いつも付きまとわれているせいで感覚が麻痺してるんだな?


 「そこの怪しい神祇さん〜何してるんですか?」
 俺が突然振り返って声をかけると神祇は驚いたようで飛び上がった。別に驚きをそういう風に表さなくても良いとは思うんだが…何もわざわざそんな事をする神祇がいるとは思っていなかった。
 「えと、私ですかな?」
 ……態とらしすぎる。こういう奴が厄介なんだよなぁ。
 「さっきから俺たちの後ろをついてきているだろ
  何で尾行なんかしているんだ?」
 神祇はにこやかに、無表情に質問している俺の事を値踏みするかのようにじっと見つめている。あー厄介だ。
 「美しい姫巫女候補が見えたのでつい、ね」
 「私はあなたの姫巫女にはなるつもりはないわ」
 ひぃな、お願いだから俺の計算を狂わせるような発言はしないでくれ……
 「しかし、わたしの姫巫女になれば有意義かと思われるがなぁ」
 断られてもこの手の奴は手を引くどころか嬉しがってというか面白がって更にちょっかいを出すんだ。それを証明するかのごとくすでに発言しているではないか。
 「お前、彼女が神祇の長である誘祇の守護を受けている者だという事を知っての行動か?」
 一応聞いてみる。答えは分かりきっているが。
 「おや…それはそれは。更に魅力的に見えますなぁ」
 ひぃなは「うげ」と小さく呟いた。が、呟いた以上に表情が引きつっている。まぁ無理も無いだろう。
 「手を出したらどうなるか分かっているのか?」
 「えぇ。でも手に入れてしまえばこっちの物でしょう?
  それに、誘祇上(いざなぎのかみ)は仕事でこちらに干渉する事が不可能だ」
 やっぱりそう来た。誘祇、俺にこいつらの相手をしてひぃなを護るのは一苦労だぞ?お前がすぐにでれないと分かっているからこそこうやってやってくるんだからな。とりあえず俺はひぃなを護ってこいつを追い出せば良いんだから、簡単に疲れずに追い出すにはこれしかない。
 「お前とは話が合わないみたいだな」
 「そうですね。だが、私の方が有利そうだ」
 そうやって俺たちの事を見下していればいいさ。次の瞬間には形勢逆転なのにな。俺は術を唱えた。さぁ、お前はどう出るか……――
 「我は喚ぶ、我が愛しき者を。
  我は頼む、我が愛しき者に。
  我は求めん、我が愛しき神祇を――」
 「何?お前……」
 少しは危険を嗅ぎ取ったようだが無駄だ。俺の妻は怖いぞー。自分の周りに神気が溢れてくる。うっすらと輝いて見えるそれはだんだんと形作られていく。そして俺の妻である綾祇(りょうぎ)が顕現した。
 「な……っ!?」
 「あら、ごきげんよう?未熟者の神祇殿」
 「りょ……綾祇様…!」
 俺の妻は結構有名な神祇である。というか、誘祇の上一家の補佐役だ。有名に決まっている。今は俺も彼女も互いを愛し合ってはいるが、始まりは戦略的な契約であった。彼女が俺に付けば、俺がひぃなの近くにいる限りひぃなは安全だから。
 「で、ひぃな様に何用でしょうか?」
 「な……何でもございません」
 完全に怯えきっている。いい気味だ。
 「それにしても」
 と綾祇は言う。にこやかな綾祇にうって変わり神祇は可哀相なくらいに縮み上がっている。いや、寧ろ面白いくらいだ。
 「何故このような所に居るのでしょうね?
  何故私はこのような所に喚ばれたのでしょうね?」
 うわ……かなり不機嫌だ。小気味良いと思っていた俺だが、とばっちりが来ないようにと祈るばかりだ。ひぃなはおろおろとすると言うよりも、我関せずというか、関わりたくないと言った様子でそっぽを向いている。向いてはいるが耳と意識だけは一応こちらに向けているらしい。
 「ひぃな、大丈夫か?」
 「うん…ただ、遅刻しないか心配」



 あ。
 しまった。
 すっかり忘れてた。



 「綾祇、俺等……学校行くわ。
  後頼んで良いか?」
 言うが早し。俺とひぃなは返事を待たずに学校へと向かった。
 「あら、棕櫚。ってもう行ってしまったわ……」
 寂しそうな綾祇の声が聞こえたような気がした。が、気にしている場合ではなかった。

 「棕櫚のばかー!
  遅刻しちゃうじゃない!」

 ひぃなの悲痛な叫びが聞こえる中、綾祇はにこりと微笑んだ。
 「さて、お楽しみといきましょうか?」
 今度は神祇の悲痛な叫びが聞こえる番だった。



 大きなざわめきの中に小さなざわめきが乱入した。
 「間に合った?間に合ったの!?」
 混乱気味のひぃなに棕櫚(しゅろ)は疲れたらしく返事ができないでいた。そこにひぃなと棕櫚が遅刻しないで来るのを待っていた水鶏(くいな)が安心したように声をかけた。
 「まだ、授業前だよ。おはよう二人とも」
 水鶏の声に安心したのかひぃなの表情が明るくなった。棕櫚はまだ回復していないようだった。
 「あぁ……助かったぁ……
  教えてくれてありがとう水鶏、あとおはよう」
 「どうしたの?今日はこんなに時間すれすれだけれど……
  今朝はあの御方には送ってもらわなかったのね」
 こういうことに水鶏は聡い為、たびたびひぃなはいちいち説明するという面倒なことをしなくて済む場合がある。ただ、あまり説明しなくてもある程度分かっていると周りから思われるために食い違いが生じていることもあり、本人はあまり良くは思っていないらしい。
 そのことを知っているひぃなと棕櫚やごく少数の知人は水鶏が知りたいであろう情報や知らせたい情報をきちんと説明するようにしている。
 「誘祇ったらね、一週間お仕事で私の送り迎えできないんだって。
  それで、棕櫚が私の登下校に付き合ってくれることになったんだけど……神祇がしつこくて手間取ったから遅刻しそうに」

 「遅刻しそうになったのは俺のせいなのか?そうなのか!?」
 棕櫚が復活した。
 誰もそんなことは言っていなかったのだが。神祇を遠ざけるのに手間取ったのは自分のせいだと勘違いしたらしい。


 「棕櫚、いつ誰がそんなこと言ったのよ……
  別に私は何も『あなたの実力が足りないから、手間取って遅刻しそうになった』なんて言ってないわよ?」
 俺の思考が復活したとたんにややこしい事を言うから思わず叫んでしまった。しかも、俺の苦労も知らずにひぃなはまたずかずかと言ってくる。心に刺さるぞ……うん。
 「くそー……」
 「棕櫚……そんな言葉、きれいな顔には似合わないよ」
 悪いが慰めてくれているように感じないんだがな?水鶏……。何でこんなやつらと連んでるんだろう、俺。でも、この二人が俺の大切な友人であることは確かだ。いざという時には俺が命に代えても守ってやらないと、と思っているくらい大切な友人だ。それに、俺はひぃなを今では家族であるかのように愛している。
 だからきっとこの心に刺さる刀のような言葉は許すべきなんだ。そうだそうなんだ…………
 理不尽な気がするのもきっと気のせいだ。気にするな俺、気になるけど気にしたらこれは負けなんだ…!


 「って、納得できるかーーーーーーーーーー!!!」
 「さっきから叫んでばかりで五月蝿いよ、棕櫚」
 「先生が教室に入ってきてるよー棕櫚……」
 冷静さをある意味失いかけていた俺への二人の指摘はごもっともだった。






 恐怖の下校時間がやってきた。今回はなぜか水鶏もついて来てくれるらしい。まぁ、戦力になるなら嬉しいんだが……心労が増えるだけな気がしてきた。
 「ひぃな、大丈夫?」
 「今のところは全然平気よ。でも、こういう時の神祇ってしつこいのよねぇ……」
 まるで人ごとのように言うひぃなに誰がそれで苦労しているんだよとつっこんでやりたくなった。そんな事をしたって何にもならない事に変わりはない。兎に角何も起こらないことを祈るばかりだ。祈る相手が『誘祇』じゃ、利益がなさそうだけど。
 「水鶏、そろそろお前の家だったよな」
 水鶏の家は学校から比較的近く、徒歩10分程の場所にある。水鶏の家から更に15分程歩いたところにひぃなの家がある。とりあえず水鶏の家を通り過ぎれば残りは半分だ。そう自分を励ます。一日目でかなり気を遣っているからあと6日と考えると辛い。
 「棕櫚、後少しのはずなんだけど……」
 返事をしてくる水鶏の声が躊躇いがちに聞こえてくる。その声を聞いた俺はいやな予感がした。こういう予感は大抵当たる。続きを促すと、
 「私の家、見あたらないんだよね」
 「ええ?道に迷った訳じゃないし、これってやっぱり妨害されているんだよね…?」
 来た来た来た来た来た!!!これは、幻惑か?それとも結界か…?俺には少なくとも結界のにおいはしない。ひぃなの方がこういう場合は即座に判断できると思うのだが。
 「ひぃな、これは結界と幻惑、どっちだと思う?」
 「んー……これは幻惑かなぁ?結界特有のにおいがしないの。
  なのにあっちこっちに(ゆが)みがあるから多分幻惑だと思う」
 幻惑にしてはあんまり上手じゃなくてすぐに見破られちゃう程度の術だけど。とひぃなは付け足した。
 「だったら早く気がつけよな」
 俺が不満を漏らすとひぃなはふくれた。
 「何よ、棕櫚だって気がつかなかった癖に!」
 「は?こうなってんのは誰が原因なんだよ!?」
 そりゃ、私ですけどー…とそれでも不満そうな顔をして答える。別に迷惑な訳じゃないからこうして俺は付き合ってやってるんだし……そんな顔させたい訳じゃって今朝もこんな風に思わなかったっけ?
 「あー俺が悪かった。兎に角これをどうにかしねぇとな…」
 「ん。無理矢理壊せばいいのかなぁ?これ」
 「ひぃな、お願いだから穏便に済まそうよ…」
 ひぃなの提案に水鶏はがっくりと肩を落とした。そりゃそうだろう、普通はそんな事考える奴は居ない。水鶏にそれは良くないと言われたひぃなは考え込んでいる。
 「この術を発動している犯人をここに呼んで納得してもらうとかは……やっぱだめだよねぇ」
 「納得はできないと思うな、だってこの娘さんが欲しいんだもの」

 「は?」
 突然水鶏の目の前に神祇が現れた。
 「だって可愛いし、ふわふわしてるし、巫力はいっぱいありそうだし、何よりも私の好みなんだ」
 目線がどこかに逝っちゃったまま頬を紅く染める姿はどこかの夢見る乙女の様に見えなくもない。だが、こいつは男だ。間違いなく男だ。骨格が男だ、てかむしろ服装からしてこいつは男だ。
 「えっと、お前誰……?」
 俺が気が抜けてしまったかのように力無く聞くと、素直に答えてくれた。
 「なんかね、偶然ここを巡回していたら好みの姫巫女候補生が歩いてくるんだもん。
  これは早く手に入れなければ!という……あ、んと名前だっけ?」
 「名前はなんて言うんだ?お前…」
 「僕は、導祇(どうぎ)。道案内なら任せてっていう感じの神祇って言えばわかってくれるかな?」
 よく分からないが素直な神祇である事だけは分かった気がする。ひぃなと水鶏は完全に呆気にとられてしまっている。俺は、こいつは誘祇の庇護下にひぃなが居る事を知らないで偶然寄せ付けられただけの神祇であると確信した。
 「ところで、そんなにこの娘は神祇に誘われているのかな?また来たって顔をしていたけれど……」
 この夢見がちで純粋そうな神祇なら真実を伝えるだけで撤退してくれそうだった。
 「こいつはひぃなって言って、誘祇の庇護下というか保護下にいる姫巫女候補生だ」
 「そうだったんだ…じゃあ、僕ではだめだってことだね」
 とても残念そうにため息を吐く導祇に哀れみを多少は持ちつつ、今回は簡単に解決できそうだとほっと一息ついた。
 「あ、でもでもまた来たって顔をしていたという事はこういう風に言い寄ってくる仲間が居るってことかな?」
 一々答えている俺が一番話せる相手だと思ったのか、心配そうに俺の方を向いて聞いてきた。
 「その通りだ。で、俺がしつこかったりする神祇からひぃなを護衛してるんだ…」
 「そうなのか……。じゃあ、今日はみんなを困らせちゃったお詫びって事で僕も彼女が無事に帰宅できるまで見守っていてもいいかな…?」
 控えめにだが、やる気満々といった感じで聞いてくる導祇に俺はこれは利用できると頷いた。
 「ありがとう!
  僕はみんなの邪魔にならないように顕現しないけど、ちゃんと見守ってるね」
 「おう」
 俺が返事をするなり、導祇は静かに消えていった。にこやかに手を振りながら。

 完全に導祇が消えた後、幻惑も消え失せ今まで通りの景色が広がっていた。俺たち三人は軽く息を吐くと会話を始める。
 「何か、悪い神祇ではなかったみたいで良かったー」
 「幻惑もなくなったみたいで水鶏の家もちゃんと見えるしね」
 「んじゃ、早くひぃなも家に帰ろうぜ」
 今日の所は、導祇が親切にも守っていてくれるらしいから前よりは気楽にひぃなの家まで送っていけそうだった。水鶏も家に入るのを確認したし、俺は上機嫌だ。



 「よし、着いたな」
 「ありがとう棕櫚、あと導祇も」
 ひぃながそう声をかけると導祇が顕現した。しっかりと責任もって見守っていてくれたようだ。しかも導祇はお礼をひぃなに言われた事が大層嬉しかったらしく、顔がにやけていた。
 「いえ、あなたにこうして笑顔を向けてもらえるだけで僕は幸せですから!」
 完全にひぃなに惚れ込んだらしい。ひぃなは苦笑していたが、嬉しそうだった。まぁ、物わかりが良い上に優しくて純粋、正直者という要素がある神祇なら安心できるから良いんだが。
 「では僕は行きますね。
  二人ともご迷惑おかけしました」
 ぺこりとお辞儀をした神祇は再びゆっくりと消えていった。

 「さあ、俺も帰るから自宅でじっとしてろよ?」
 「分かってるわ…棕櫚、ありがとうね」
 ひぃなは笑顔で手を振った。俺も微妙に疲れてはいたが笑顔を返した。
 「また明日ねー」
 「おう、また明日も迎えに来るからな」
 今日はこれで終わりだと思えば疲れも吹き飛びそうだった。が、明日の事を思うと、疲れが押し寄せてくるような気がした。



 「おはよう、水鶏(くいな)
 「おはよう二人とも。今日は大丈夫だったのね」
 元気そうなひぃなと気力が有り余っている俺の様子を見るなり、水鶏は安心したかのように微笑んできた。
 「昨日の遅刻すれすれに比べたら、今日はとっても早いよ」
 「でしょう?棕櫚(しゅろ)も朝ちゃんと迎えに来てくれるしね」
 確かにいつもの俺なら綾祇といちゃこいて遅刻すれすれだ。でも、今日は(昨日も一応ちゃんと着くようにしていたのだが)朝時間に間に合うように早くひぃなの家へ向かっている。
 「悪かったな、いつもは遅刻すれすれで」
 「そんな事無いよ。
  こういう時の棕櫚は、しっかりしてて頼りになるんだから」
 ひぃなは本気で言っているらしく、とても綺麗な笑顔だ。こういう笑顔が見たくても、大抵見せて貰えない。だからこそ頑張って色々してやるんだが。こんな笑顔を見れる俺は、やはり誘祇(いざなぎ)よりも恵まれた環境に居るのではないか。と偶に勘違いしそうになる。
 誘祇の件になるとひぃなは違った微笑みをするから、それで「あぁ、俺と奴は違うんだな」と思わされる。今は別にこの笑顔で十分だ。なんたって俺には綾祇という神祇が隣に居てくれるんだからな。それでもひぃなのこの笑顔が見れると元気が出る。脱線しかけた俺の思考に待ったをかけ、惚けた顔を元に戻した。
 「ありがとう、な
  残り今日も含めた三日、頑張って護ってやるよ」
 つい、俺も笑顔で返事をしてしまう。
 「棕櫚もそういう笑顔でいつも居れば女の子が寄ってきそうなのに…」
 「俺は綾祇(りょうぎ)が居るから他の女は要らん!」
 自慢げに言えばひぃなは「しょうがないなぁ、じゃあまた後で」と苦笑いをしつつ、自分の席に戻っていった。
 水鶏は俺の近くの席に座っていたが、そこから小さな声で話しかけてきた。
 「さっきの他の女は要らん発言で数人の女の子が溜息吐いてたよ」
 そんな水鶏の顔は少しにやついている。瞳には好奇心が見えていて隠すつもりはないらしい。
 「俺にいちいち報告しなくて良いぞ。俺は知らんからな…!」
 語尾を少し強めて言うと「つまんないのー」と言う水鶏の小さな声が聞こえてきた。余計なお世話だ!



 何故かその後下校も他の神祇からの干渉は全くなかった。ひぃなは嬉しそうだったが、俺には少し引っかかる物を感じた。
 「棕櫚、大丈夫だよ」
 「だと良いがな」
 まぁ、向こうが動いてこない限りこちらは対処のしようが無い事は確かだ。ひとまずは今日が無事に終わったと喜んでおこう。
 「じゃあ棕櫚、また明日ね」
 そう言うなりひぃなはさっさと家の敷地内に消えていった。
 「何だかなぁ……」
 俺の小さな呟きは虚空へと消えた。






 三日目だ。今日乗り切れば一週間が六日だから、残るは休校日を除いて一日だ。綾祇は俺がひぃなの護衛を任されるようになってから、邪魔しないようにといつもより早く仕事へ出かける。
 「何かあったら私を喚んで良いから、無理はしないで?」
 「あぁ、お前が忙しくない時間帯だったら気軽に喚び出させて貰うよ」
 忙しい時間でも私は構わないのに…と心配そうに言う妻を仕事へ送り出し、俺自身もそろそろ出かけようとした時だった。
 「おはようございまーす」
 「は…?」
 一昨日知り合った変な神祇が突然目の前に顕現した。あまりにも近くに顕現された為に真正面から俺はぶつかったが。「朝から痛いじゃないですか〜」と小さな不満の声がその神祇から聞こえる。朝から痛いというよりも、自分が変な場所に顕現しなければ。とかいう考えは頭の片隅にもないのか?
 待て。待てよ…それよりも何でお前がこんな所に居るんだ?俺はさっぱりこの事情が分からずその後に続いた言葉を聞き逃した。
 「あ?何て言ったんだ?」
 「ですから…昨日変な神祇が居たので撃退しておきましたが、今日もしておきましょうか?と…」
 「あぁ…なんだ……はは、お前がやってくれたからだったのか……」
 俺は昨日俺がずっとしてきた事は無駄だったのかと思ってしまった。俺が昨日気を張って頑張っていたのは無意味だったのか…はは。
 「大丈夫ですか?棕櫚」
 脳天気に聞いてくるこの神祇――導祇(どうぎ)――は一応素直で従順な性格らしい。
 「つか、お前戦闘出来るんだな…てっきり俺は非戦闘系かと思ってたぞ」
 「僕は戦闘には向いていませんよ。ただ…」
 俺は聞かなかった方が良かったかもなと思った。



 事もなさげに言い放った導祇の顔は、純粋な笑顔だった。
 「ただ、誘祇上(いざなぎのかみ)の目の前に僕自身からの伝言とあの方を狙っていた神祇を強制的に導いただけだよ」



 差し出された神祇は、きっと誘祇の恐ろしさを改めて実感した事だろう。そういう事は恐らくこの導祇は考えもしていないのだろうが。だからこそこの純粋さが俺は怖いと思った。
 だが、俺はこんな所でぐずぐずとしている場合ではない。ひぃなが待っている。いい加減に向かわないと授業に間に合わなくなってしまう。
 「今日も導祇、お前が暇なら昨日と同様よろしく頼むな」
 そう言いながらひぃなの家へと向かう。背後から導祇の声がした。
 「はい!頑張って撃退しますね!」
 やけに張り切っている声だった。そして俺はふと思う。
 あいつ、変な神祇が居たと言っていたが……それは本当にひぃなが目当てだったのだろうか?と。冤罪の奴も居るかもしれないなと俺は思いながら、導祇と誘祇の勘違いによって犠牲となったかもしれない神祇に少しながら同情と哀れみを覚えた。






 「棕櫚、今日は少し遅いー」
 「すまんひぃな。導祇が突然現れて手間取った」
 ひぃなは不満そうな第一声とは変わって、可愛らしく首をかしげながら聞いてきた。
 「導祇って一昨日前に知り合った神祇だよね…?」
 登校中にかいつまんでひぃなに説明をした。ひぃなもやはり俺が考えていた『冤罪』について思う所があったらしく可哀相、と一言漏らした。その顔は苦笑気味ではあったが。



 学校に着けば、もう既に来ていた水鶏がにこやかにこちらを見やる。「待ってたのよ」と言いたさげに。
 水鶏にも今朝の出来事について説明する。水鶏の感想は
 「神祇にとっては『疑わしきは罰せよ』なのね」
 どちらかと言えば、感心したようだった。偶に水鶏の思考がどうなっているのか不思議に思う事がある。そこは感心する所ではなく、普通は誘祇達に呆れるか巻き込まれた神祇を哀れむかのどちらかだと思うんだが。
 今日は導祇のおかげかやはり何も起こらなかった。楽は楽だが、自分がだらけているようで何となく気分的には微妙だ。
 「棕櫚、明日で最後だね」
 ひぃなが静かに言った。
 「まぁな。この調子で何も起こらなければ良いが」
 俺のこの返事が気に入らなかったのかひぃなの眉がつり上がる。だが、口調はそれほどでもなく、形だけの物のようだった。
 「もー、棕櫚ったら不吉な事言って。
  私たちには『言霊』があるんだから、そんな事ばっかり言ってると大変な事になるよ?」
 ひぃなこそ力が強いんだから変な事言うなよな、と返したかったが止めた。火に油を注ぐような行為は止めた方が良い。俺が疲れるだけだ。
 「俺も気をつけるが、お前も気をつけろよ?」
 「分かってる」
 本当に分かってるのか俺には判断が付かないが、まぁ…ひぃなだしな。自信ありげにそう言われたらこっちは引き下がるしかない。それに、そうこうしている内にひぃなの家に着いてしまった。
 「今日もありがとね。じゃあ、また明日」
 「おう、またな」
 やっと明日は最終日だ。初日が疲れただけで他は意外に楽だったが。



 「棕櫚さん、お疲れ様ですー」
 どごっ
 「いっ…!?」
 俺はまたもや突然目の前に顕現したらしい導祇に真正面から突っ込んだ。
 もうすぐで家にたどり着く所で、気が緩んでいた所為か勢いよく突っ込んでしまった。勢いが良かったなりに痛い。
 「痛いじゃないですかー」
 朝と同じようなやりとりをした後で、導祇が話しかけてきた。
 「今日はお二方ほど強制的に導かせて頂きました」
 満足そうに俺に報告をする導祇の声は弾んでいた。楽しいらしい。そんな導祇に質問をしてみる事にする。
 「どうやったらお前は誘祇の所に奴らを強制送還してるんだ?」
 ばっと俺を見やると、導祇はよくぞ聞いてくれました!という顔をしたが、それも束の間。含みのある笑顔になった。
 「残念ながら、それは企業秘密なんです。
  少し教えてあげますと、とある条件を満たせば僕の属性が『何かを何処かへ導く』なので共鳴を利用して(みち)を開く事が出来るんです」
 「開いたらどうなるんだ?」
 「開いたら、そこに突き落とせば良いんです」
 ほら、簡単でしょう?と言う導祇の顔は本当に楽しそうで。俺はある意味こいつは恐ろしい存在だと思った。
 だが、条件を満たせない場合は役に立たないという事でもある訳で。こいつの話術に丸め込まれずに条件とやらが満たせなかった場合、ひぃなに向かって顕現できる可能性が高いという事になる。頭の良い神祇ならば導祇の話術に騙される事は無いだろうから、気を引き締めていなければいけなかったようだ。
 俺は少し腑抜けていたようだ。しかも最終日とあればきっと最後の機会という事で来るかもしれない。今までは運が良かったという事か。
 「明日も頑張ってくれよ、導祇」
 「もちろんです」
 こいつが何処まで通用するのか知らんが、明日は気を緩めてはいけないと俺は考えを改めた。
 あーあ、何で俺はこいつに頼った形で満足していたんだ?こいつは戦闘になったら真っ先に消える種類じゃないか。頼っていた俺の考えが浅かっただけではあるが、八つ当たりしたかった。
 「失礼します。ではまた明日」
 不穏な空気を察したのか、導祇は挨拶をしてさっさと消えてしまった。
 当たる相手が居なくなり俺はその気持ちを溜息と一緒に外へ出し、家へと入っていった。明日何があってもひぃなを守れるように準備をしなけねばと頭を切り換えながら。



 いよいよ誘祇(いざなぎ)からのはた迷惑な『お願い』から解放される日がやってきた。今日が最終日だ。最終日だぞ。今日さえ乗り切れば俺の役目はいつも通りの楽な物に戻る。学校に居る間だけひぃなを護っていれば良いんだ。
 そんな風に考えてばかりだったからなのか自然と表情が緩んでいたらしい。朝、ひぃなに会って直ぐに
 「棕櫚(しゅろ)、今日は機嫌が良いね」
 などと言われてしまった。不覚。


 登校時、何も起こらなかった。
 授業中、ひぃなが防御の術に失敗したらしい。ひぃなの隣の席にいた男子が全身の痺れを訴え、保健室に担ぎ込まれていった。
 どうやったら防御の術が麻痺の術になるのか不思議だが、俺も人の事は言うまい。

 「棕櫚さん!どうしたら防御の術が火炎の術になるんですか!!」
 「さぁ…?」
 俺様は攻撃系の術が得意なんだ。んなもん知るか。


 そんな中、いつも水鶏(くいな)だけは成功する。防御系だけは水鶏に適う奴がこの組の中には居ない。  「彼女を見習うように」と言われても俺には無理だ。見習える物ならとっくの昔に見習っているさ。



 下校時間間際になって俺はふと思った。俺の周りにいる神祇以外で、誘祇が一週間という期間ひぃなと接する事が出来ないという事情を知っている神祇は襲ってきた奴ら含めていたのだろうかという事だ。誘祇が居ないから襲ってみましたという奴らばかりならば、今日がその最終日である事も知らないだろうし、知らないという事は後日に回す神祇も居る可能性が高いという事だ。
 もしかしたら、昨日の様に導祇が何とかしてくれるかもしれないし、俺が何とかする事になるかもしれない。今日が最終日だからと根気を入れて俺たちに特攻してくる奴らが多いとは限らない事に、気が付いてから俺の心の警戒心は更に軽くなっていた。


 それを人は「油断する」と言う。


 「棕櫚、顔の筋肉が緩んでる」
 水鶏にまで指摘されてから、改めて気を引き締め直す。数回も指摘されるほど気が緩むとは……
 「その気持ち、分からなくもないから」
 「はは……」
 俺って、意外に浮かれやすいのか……?
 「ひぃな、棕櫚のことあんまり頼りにしすぎない方が良いからね」
 「大丈夫だよ、水鶏。
  それくらい分かってるから」
 ひぃなに言われたのがさりげなく衝撃的だった。
 そのまま帰りの集会が終わり、下校時間となった。
 いつも通り三人で帰る。導祇は恐らく顕現せずに近くを漂っているのだろう。今度顕現する時は、俺にとってもあいつにとっても安全な場所にしてくれると助かるんだがな。


 歩いている内に俺の、誰も襲ってこないかもしれないという考えは見事に崩壊した。しかも更に悪い具合に。

 「やっと妾の出番となった」
 「あなた、誰ですか?」
 俺が対応する前にひぃなが答えた。神祇の様だが、かなり質の悪い神祇だった。
 「妾はずっとこの時を待っていたんじゃよ〜」
 線を引いたかの様な細い瞳がキラキラとしている。恐らく、元精霊なのだろう。若しくは稲荷神。しかし力に魅入られ、元の役割を放棄した側の神祇だった。
 「そこのおなご、妾の姫巫女にどうじゃ?
  妾と一緒になれば、そなたも楽しかろう」
 力を欲すだけの神祇。崩祇予備軍だ。大きな力をたまたま所持していただけだろうにな。
 「俺には、可愛い嫁さんが居るんでな。
  簡単にはそっちには行けねぇよ」
 今度はひぃなの代わりに答えてやった。
 「棕櫚、あんた莫迦でしょ」
 「おかまなぞ、妾は欲しくないんじゃよ」
 ひぃな、嬉しくないつっこみありがとうよ。やっぱり、お前は奴の目を逸らそうとしている俺の事なぞ、どうでも良いみたいだな。
 更に、俺の期待をお約束通り裏切った導祇が顕現した。
 「はーい、皆さん僕が来たからあ……」


ごすっ


 『〜〜〜〜〜っ!!!』
 「お前こそ、莫迦だろ……」
 痛そうに腹を抱えて唸る導祇と、真っ青な顔をして頭を押さえる神祇の声にならない悲鳴が重なっていた。
 先に導祇の方が痛手から立ち直り、言葉を発した。
 「棕櫚…痛かった」
 「……俺に言うなよ」
 気を取り直して、導祇が声を出す。
 「所で、僕は導祇。貴方の名前は?」
 「?……妾はこぎ、じゃよ」
 「狐祇ですか」
 導祇はにっこりと微笑んだ。
 「それでは、狐祇」
 狐祇と言うらしい神祇の背に黒い空間が生まれた。俺はなるほど。と納得した。
 「行ってらっしゃい」
 そして、ぽん。と彼を軽く押した。彼はそのまま黒い空間に向かって倒れ――
 黒い空間は消えた。

 地べたに倒れた狐祇とやらを残して。
 「えええええええええ」
 「あれれ…?」
 がっかりする俺等三人と、不思議がる導祇に向けて倒れている神祇は嗤った。
 「妾がいつ、狐の神だなどといった?
  妾は、嘘の神。嘘祇じゃよ」


 「うん。逃げよっか、みんな」
 「へ?」
 へらっと導祇は笑いながら言った。
 「安全な場所に逃がしてあげるから」
 一方的に話を続け、円を描いた。
 「導祇とやら、妾を置いて逃げられると思っておるのか」
 嘘祇はにやりとしたが、導祇は冷静だった。
 「置いていかないから安心して」
 その優しげな微笑みに嘘祇は唖然としていた。
 「さ、また会おうね。みんな」

 ――我、導かん。我が君の下へ――

 次の瞬間には、導祇と嘘祇の姿は全く見えなくなっていた。



 「ここ、どこ…?」
 最初に口を開いたのはひぃなだった。水鶏は呆然としていた。導祇の行動が衝撃的だったようだ。
 「導祇が、最良だと思った場所だろうな…」
 俺は、ぽつりと呟いた。それから暫く、といっても1、2分の間だろうが俺たちは沈黙していた。
 「あぁ、ここに居たか」
 どこか疲れた様子で静かな声と共に神祇が現れた。地祇だ。
 「導祇が逃がしてくれた。
  あいつ、大丈夫なのか?」
 俺は、あの神祇に導祇が適わない事を知っておきながら聞いた。残酷だとは思っているが、気になった。
 「大丈夫じゃないだろうな。だが、心配しないで良い。あいつが決めた事だ。
  お前達は、俺様が直々に守ってやるから気にする事はない」
 地祇は、緩やかに笑顔を作った。
 「なぜ。俺たちにここまでしてくれる?
  お前にとって、導祇は大切なんじゃないのか?
  あいつは…我が君の下へと、お前の事を『我が君』と確かに言ったんだぞ」
 ひぃなと水鶏は俯いてしまった。地祇は、俺の言葉を聞くと少し嬉しそうな顔をした。
 「あぁ。大切だ。だが、大切な奴との約束は守りたいだろう?」
 「約束を守ったら、導祇は何事もなかったかのように俺たちの前に現れてくれるのか?
  俺は、約束は大切だと思うが……納得いかん」
 地祇の失ってでも約束を守りたい。という考えは俺には理解出来なかった。大切な奴を失ってまでも守りたい約束なぞ、有り得ない。出来る事ならば大切な奴を失うことなく、約束も守りたいではないか。
 俺の、この考えを知ってか知らずか。地祇はなぜか笑い出した。ひぃなと水鶏が顔を上げた。
 「若いな。そうであるからこそ、お前達を神は愛しく感じるのだ。
  人間よ…我らが命よりも大切に思うのはお前達なのだ。
  守れねば、我らが存在している意味がない」
 「それでも…!」
 これは、俺の声じゃない。ひぃなの声だ。
 「私は!私は、そうやって生きていくあなた達神祇を見るのが哀しい…!!」
 ひぃなは、今にも泣き出しそうな顔をしていた。



 そんなひぃなをふと、地祇は見つめた。
 「そういう風に、創造者である伊弉諾尊(いざなぎのみこと)に創られたんだ。俺たちはな……
  それでも、そう創られた事に誇りを持っている」
 ひぃなは納得のいかない表情だった。勿論俺も、納得がいく訳がなかった。
 「導祇を失ってまでも、その約束とやらを守って何になる…!?」
 「導祇の肉体は守れないが、その意思を永遠に守り続けられる」
 人と共存することによって無制限の生命を与えられた神祇にとって、俺たち人間の考えとは相容れる事が出来ない何かがあるのかもしれない。そもそも別の種族ってくらい、違いがある人間と神祇だ。考え方の根本が違っていてもおかしくはない。だが…っ
 「そういうお前らを見て、その原因である俺たちはどうすりゃ良いんだ?
  俺たちは、自分たちを責め続けてしまう。それで人間を守れていると!?」
 「それは……」
 地祇は何かを言おうとした。だが、ひぃなの方が早かった。
 「私たちは、貴方と導祇がどんな約束をしたか知らないわ。
  でもね……失ってからじゃ、遅いと思う」
 ひぃなの言う事は尤もだ。失われたものは、取り戻す事ができない。取り戻す事ができるものは、この世界に留まっているものだけだ。死ぬということ、または消滅するということは、この世界に存在していないということだ。導祇が、このままでは俺たちの手の届かない場所へ行ってしまう可能性が高いことくらい、ここにいる俺たちは分かっているはずだろう?なのに、なぜここまで平然としていられるんだ!
 「導祇は、な。
  自分の命よりも、俺たちが守りたいと共通で思っている者を守ること。
  そういう約束を俺にさせたんだ」
 そう言う地祇は、少し困ったような表情をしていた。今まで黙っていた水鶏(くいな)がとうとう口を開いた。
 「地祇……貴方の考えは、間違ってはいないわ。
  でも、それは哀しい事」
 静かに語る水鶏の姿は、どこか長い時を生きてきた神祇のそれと似ているようで、違和感を感じた。
 「貴方自身がその約束で何も行動を起こせないというならば、私たちが起こしてしまっても構わないかしら?
  私たちが動かなかった事によって導祇を失っても、後悔しない自信はある?」
 地祇は、導祇の事を考えていたのだろう。数秒、考え込むかのように沈黙した。
 「俺は、何もしないつもりだ。勿論、後悔しない自信は無い。
  だが……あいつとの約束を破るほどの根性も無い」
 「なら、私がやる」
 「ひぃな…?」
 さっきまでは俺と同じように憤っていたはずのひぃなが静かに言い出した。水鶏もやや驚いたようだ。
 「私なら、できる。
  導祇の所へ、行っても良い?」
 突然の事に、俺たちは理解出来なかった。その証拠に、地祇でさえ、きょとんとしている。
 「無言。行くね、私」
 「……え、あ…お嬢…じゃなくて、ひぃな……?」
 地祇は、相当混乱していたらしい。呼び方が変だ。水鶏は、はっとした顔をした。俺と地祇は何のことだか分かっていなかった。
 「じゃあね」
 「あっ……ひぃなっ!」

 ――我を、導祇の下へと誘いたまえ
    我を助けようとした、彼の者の下へと導きたまえ――

 ――我が血脈によって路を開かん――



 「行っちまった……」
 ひぃなが消えた途端、俺たちは脱力した。集中力が突然切れたのだ。集中力が切れた事によって今までの雰囲気が崩れる。要するに、緊張感が無くなった。
 「あー……坊主、棕櫚(しゅろ)?って名前?」
 そう言えば、俺はあいつに名乗っていなかった事を思い出す。
 「あぁ。俺は棕櫚だ。
  隣のは水鶏」
 「そーかそーか。忘れるかもしれんから大地に刻んでおくか……
  んで、ひぃなちゃんさ。俺の加護まで拾い上げて行きやがったぞ」
 地祇は微妙に呆れ顔で言った。俺は、何の事だろうかと首を捻る。
 「自分の力あまり使わないで済むように俺等のを盗んでったって感じか?
  取り敢えず、俺は少し疲れた。全体の十分の一くらい」
 ………微妙。つか、それどころじゃねーじゃん。今。でも、やっぱり緊張感がない。
 「地祇!俺たちをひぃなんとこ連れてってくれ!」
 「えー?俺、何もしないつもりでいるのに?」
 どこか面倒くさそうな意思の籠もった言葉に俺は苛ついた。というか、むかついた。
 「へぇ……。
  お前が導祇とした約束は、ひぃなが巻き込まれても俺は何もしませんってやつだったか?
  あーあ。導祇、ひぃなの事気に入ってたもんなぁ…巻き込まれてたのにお前が何もしに来なかったって知ったら、悲しむだろうなぁ」
 半ば八つ当たり、半ば脅しで言ってやった。地祇は少し焦ったのか大声を出した。
 「あー、くそ。動くよ。動けば良いんだろう!?」
 そう言うなり、地祇は俺と水鶏をがしっと掴んだ。



 「あれ…誰」
 「ん?どう見たって、あれは導祇だぞ」
 俺たちが見たのは、呆然としているひぃなと倒れている美人なお姉さんだった。あと、そこに立っている嘘祇(こぎ)。嘘祇は何だかよく分からないが、やつれていた。俺たちが見ていない間、一体導祇に何をされたんだ……。
 「あの、美人なお姉さんが、導祇?」
 「そう、あれが本当の姿だぜ」
 導祇は生きているようだ。神祇は、普通死ぬと世界の調和を保つために四散し、消滅する。倒れているとはいえ、形が残っているのだからまだ大丈夫だろう。
 「てっきり、俺は導祇が男神だと思ってたぞ」
 「男装が趣味なんだ。すまんな。
  それよりもこの状況をどうするんだ?」
 地祇と俺だけが平常心を保てているようだ。水鶏は目を丸くしたまま動かない。ひぃなは、この惨状に開いた口がふさがらないらしい。
 嘘祇が漸く俺等に気が付いたらしい。だが、何だか動きが散漫としている。本当に何をされたんだ……。
 「おぉう。お前達戻ってきてくれたんじゃのぅ…」
 声にも張りが無くなっている。大丈夫だろうか?敵であるが、ちょっと可哀相だ。
 「妾はもうだめじゃよー
  真名を奪われてしもうた…」
 此奴を滅ぼしてしまうつもりじゃったのに。と言う言葉が、哀しく響いた。まぁ、自業自得じゃ?
 「もう良い、もう良いのじゃ…
  妾は、誘祇上(いざなぎのかみ)の裁量を待つ」
 どうやら、真名を奪われて戦意を喪失したらしかった。真名を奪われたのは災難だったとしか俺にも言えないが、命を導祇に握られている状態に等しい訳だからな。そりゃ、戦う気も失せるだろ。


 暫くひぃなは呆然としたかのように動かなかったが、気が付いたのか導祇の方へと走っていった。
 「導祇…っ」
 導祇はぐったりとしてはいたが、外傷はないようだった。地祇がゆっくりと近づいてくる。その様子に俺は内心ほっとする。あの表情なら何も心配が要らないようだ。
 「また、無理しやがって……」
 地祇が優しく導祇を抱きしめた。やっぱ少しは心配だったんじゃないか。改めてこれが本当の姿だという導祇を見た。ふんわりとした髪が緩く波を描いている。結構華奢な身体に控えめな色合いの帯を締めていた。顔は……まぁ、面影があるな。
 そんな風に考えていたら、地祇が導祇の唇へと触れた。勿論地祇の唇が、だ。何か覗き見しているようで微妙だな……。自分がする分には別に良いが、他人が接吻しているのは照れるような?まぁ、巫力を分けて貰わないとこのままじゃ起きなさそうだしなぁ……。
 ひぃなと水鶏は恥ずかしそうにしていた。そういう風にする方が恥ずかしいと思うがな。俺は。
 「こいつな、元々力のある奴じゃないんだ。
  だから俺がこうして力を分けてやっている。
  もう少ししたらちゃんと目覚めるだろうから心配しなさんな」







 「棕櫚さーん、今日も元気ですね!」
 翌日、元気になった導祇はかなり溌剌(はつらつ)としていた。
 「おぅ、お前も……って、瞬く間に元に戻ってるな」
 そう。あいつはまた男の姿になっていた。女の姿の時は本気の時だけなんだそうだが、この前確かめた所「だって、可愛らしいお嬢さんが好きなんですよ〜」と言われた。地祇、こんな奴が相棒で良いのか?本当に。
 「これが僕の標準ですから!」
 とまぁ、こんな感じで心配はしない方が良いみたいだ。そして、あの後嘘祇はどうなったかと聞いてみる事にした。気にはなっていたんだが、なかなか切り出せなくてな。いや……だって、怖いじゃん?
 「嘘祇に対する誘祇の裁量ってどうなったんだ?」
 「それがですね〜」
 楽しそうに、というか嬉しそうに話す導祇に俺は何だか心配な気持ちになった。
 「こんな結果になったんじゃよ〜…」
 と、突然嘘祇が現れた。しかも俺の頭上に。
 「うぉっ!?
  重てぇよ!つーか、どういう結果だ!」
 嘘祇はしくしくと語り出した。内容はくだらない。
 「妾はな……此奴の僕の様な存在になってしまったんじゃ〜!」
 「あ……そう」
 誘祇にしては、軽い刑罰なのではないか?何か裏があるとか…か?
 「誘祇上ね、僕が嘘祇が欲しいって言ったらくれたんですよ〜
  今回は僕に迷惑を掛けたから、僕の好きなようにすれば良いって!」
 単に誘祇の奴、ひぃなと会えない時間が多かった上にずっと仕事だったから色々面倒になったんだな。
 「あ、ひぃなさ〜ん!
  嘘祇が僕たちの仲間になったんですよ〜〜」
 通りがかりのひぃなに導祇が声を掛けた。ひぃなは嘘祇を見た途端に、一瞬敵意を見せたがそれも導祇の嬉しそうな顔を見て、何だか哀れみを持ったらしく同情のまなざしを送っていた。まぁ、確かに可哀相な感じはするがな。
 「ひぃなー!」
 「あ、誘祇……お久しぶり」
 誘祇のひぃな禁止令は終了したらしい。誘祇がやつれてはいるものの、どことなく目が生き生きとしている。誘祇は軽やかにひぃなの所へとやってきて抱き上げた。いわゆる「高い高い〜」みたいな感じだ。ひぃなも楽しそうだ。そうやってひとしきり誘祇は久々のひぃなを堪能した後、俺の方へとやってきた。
 「一週間、ありがとう。棕櫚。
  とても君のおかげで助かったよ!
  また、何かあった時はよ――」
 嫌な予感がしたから俺は奴が言い終わる前に言ってやった。
 「今度からはお前が自分で守れ。
  守れない状況なんぞ、作るんじゃねーよ。阿呆」
 俺だけじゃ何も出来ない時の方が多いんだから、しっかりしやがれ!全く、誘祇は俺が言った事に不満たらたらの様で、ずっと何か俺に言ってきている。煩いが……まぁ、無視。
 取り敢えず、……一日とかならやってやるが、今後は一週間とかの長期間はもう嫌だ……!

第二話:棕櫚の災難 了




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