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【5月】家庭教師がやってきた

 コンコンと扉を叩く音がし、「失礼します、姫」と言葉が続いた。
 「どうぞ、入って」
 返事をしたのは、この国(グライベリード)の姫――ミースルの花姫――であるフィリオーネであった。そう、この扉はフィリオーネの部屋へと繋がっているのだ。
 因みに【ミースル】とはこの国にのみ生息する貴重かつ、とても美しい花である。
 「フィリオーネ姫……このような場での報告、大変申し訳ありません。
  はじめまして。本日より新し――」
 「あなたが新しい監視役って訳ね?」
 フィリオーネは挨拶をしようとする男の言葉を中断し、とげとげしく言い放つ。男は「いぇ……」と小さく言って一瞬困ったような表情をしたが、気を取り直したのか、すぐにまた元の表情通りにこやかに微笑んで
 「改めまして……
  本日より新しく宰相に任命されましたライアスです。
  以後、お見知りおきを。姫」
 「お見知りおきしたくありません。
  知ってまして?この国の宰相はお目付役。要するに姫の監視役だという事。そして私は監視されるのが嫌いなの。
  分かったら帰ってくださいな」
 フィリオーネは束縛されたりするのが嫌いなようだ。
 「いいえ……私は、姫の監視をするお目付役ではなく……この国の宰相、兼姫の家庭教師です」
 フィリオーネは【家庭教師】という単語を聞き、更に機嫌が悪くなった。そしてこの新しい宰相に向けて掴みかかるかのような勢いで怒鳴った。
 「家庭教師ですって!?そんなもの要らないっ!!」
 しかし、ライアスは不快そうな表情もせずにゆっくりと優しく答えた。
 「その様な事は言わないで下さい。恐らく私は長い事この国にとどまる事はないでしょうから。
  短い期間のみですから、必要ないなどとは言わないでくださいますか……?」
 その、真鍮な言葉にフィリオーネは冷静になり、
 「――……分かったわ。
  ライアス宰相、取り敢えず、これからよろしく」
 こうして宰相は姫の家庭教師という役を無事に戴いたのだった。



 「フィリオーネ姫、歴史学を教えに参りました」
 「あーはいはい。どうぞ入っていらして?」
 姫という位の人間にしては何と適当な返事なのだ。と思いながらライアスは部屋の中へと入った。そして椅子に腰掛けているフィリオーネの側へと歩みを進める。
 「グライベリードの由来は知っていらっしゃいますか?」
 唐突な質問ではあるが、確認するかのようにライアスは聞く。その質問に知っていて当然であるかのようにフィリオーネは答えた。
 「えぇ。古代語で【花に囲まれた国】と言うのでしょう?
  これくらいは私も知っているわ」
 そう言うフィリオーネにライアスは挑戦するかのように微笑んだ。
 「では、姫。更に詳しい事は?
  この国のたわいもない雑学の様な――」
 フィリオーネは、少し困った顔をして返事をした。
 「そういった話があるの?少なくとも私は……知らないわ」
 「そうですか。
  グライベリードとは、神々の最初に降り立った土地とされています。その際に、大地は喜びと幸福に満ち、一斉に花を咲かせたと言われています。
  それ以来この大地は自然に恵まれ、花が咲き乱れた一年中花で溢れた美しい国となり、そう呼ばれるようになったのです」
 「確かに花は一年中咲き乱れているわね」
 フィリオーネは納得、といった風に頷いた。ライアスは内心、興味を抱いた様子のフィリオーネが嬉しくなり、言葉を続けた。
 「他にも、この国の忘れられた物語等もありますよ。
  知りたいのでしたら、お教え致しますが……?」
 フィリオーネはそれを聞くと、直ぐに返事をした。本当に興味が湧いてきたのだろう。目が輝いている。
 「本当?聞きたいわ。
  教えて下さいな」



 「あなた、教えるの上手ね。
  ただの物語だけ語ってお仕舞いかと思ったけれど……ちゃんと歴史学に繋がっていたなんて。
  私、歴史学が嫌いではなくなったわ。というより、好きになれそう」
 どうやらフィリオーネは歴史学に興味を持ち、学ぶのが嫌いではなくなったようだった。昔は家庭教師が来る時間になると違う場所へと移動して隠れてしまう程苦手だったのに、だ。フィリオーネは内心こんなに宰相が丁寧ではあるが、面白く飽きさせる事無く勉強を教える事が出来る人物であったなんて。と少し尊敬に値する人物であると思い始めていた。それくらい、彼の教え方が上手だったのだ。
 「姫のように飲み込みの早く、そして楽しく話を聞いてくれる素直な人は好きですよ。私」


 コンコン
 「失礼します、フィリオーネ姫」
 「あ、ライアス。今日は何のお勉強かしら?」
 「本日はですね……――」
 こうして、宰相はほぼ毎日のように姫に知識を与えていった。知識を与えられれば与えられるほど、姫もまた学ぶ事が好きになっていった。
 5月も終わりに近づけば、姫は以前よりも数倍賢く勤勉になっていた。




 【6月】気にくわない

 姫は気が付いた。「私ってば、あの宰相に飼い慣らされてる!?」勿論、こんな事は姫の勝手な被害妄想である。
 勉強をして頭が良くなったとはいっても、思考能力までは追いついていなかったようだ。
 フィリオーネが丁度そんな事を考えている時に、宰相のライアスがやってきた。勉強を教える為に、ではあるが運が悪かった。
 「フィリオーネ姫、失礼します」
 「失礼されました」
 不機嫌そうな返事にライアスは首をかしげる。
 「?本日の科も――」
 「私、あなたが嫌いです。宰相殿」
 「はぁ……」
 何が何だかよく分からないが、兎に角突然嫌われてしまったようだとライアスは思った。自分は何か良からぬ事を発言したり行動をしたりしたのだろうかと思い返してみるが、得にこれといった事は思い浮かばなかった。
 「……それは困ったなあ」
 と、口に出してしまうほど困っていた。折角以前よりもましな人間関係になったと少なくともライアスは思っていたからだ。残念がると言うよりも、困っているという方がしっくり来るほど困っていた。
 だが、困っていても宰相である。困っているだけでは解決しないのは十分分かっている。必死で彼女の機嫌を取る事の出来る“飴”を思い出したのだった。
 「えぇと……フィリオーネ姫、取り敢えずその事情は横へ置いていただいて――
  本日は【茶会のマナー】を勉強する予定ですので」
 「あなたなんかに飼い慣らされて堪るものですか。
  今日の勉強はナシです」
 完全に勉強する気はないほど怒っているようである。それにしても【飼い慣らされるものですか】とは、勘が良いのか鈍いのか…ライアスには正直よく分からないコメントであった。しかし、そこで宰相は諦める訳にはいかなかった。
 「おや……それは勿体ない事を。シェフがこの科目の為にシェフが姫好みのケーキをオリジナルで作ってくださるという事なのに……」
 勿論そんな事はなく、今から頼みに行かなければいけないがあのシェフの事だ。姫の為ならば喜んで作ってくれるだろう。
 「う」
 ライアスの台詞に姫は傾いた。しめしめとライアスは心の中でほくそ笑む。まさに悪役の如し、である。当の本人達はそんな事など気が付いていないが。
 「シェフが言うには……フィリオーネ姫がお好きだという、彼の有名な【ラーベンス】をふんだんに使用した一品だそうですよ?」
 シェフには多少無理してもらうことに勝手に決めたライアスの一言。だがとどめを刺した、そうライアスは思った。その通りフィリオーネは溜息を吐きながらも少し嬉しそうに言った。
 「仕方がないわね……【茶会のマナー】教えて下さいます?」
 「喜んで」
 こうしてライアスは再びフィリオーネの家庭教師を続ける事となったのだった。



 「今日の会合とは何なの?私、面倒だからサボりたい」
 ふて腐れながらライアスの隣を姫として言ってはならない様な事を言いながらフィリオーネは歩いている。
 「だめですよ、姫。一応フィリオーネ姫の政界デビューなんですから」
 苦笑しながらも言うライアスの言葉に、姫は
 「嫌よそんなのっ!」
 と勢いよく隣のライアスに振り向いた。が、その拍子に足下がおろそかになったのかそのまま真っ直ぐにこけそうになった。
 「……っ!?」
 「おっと」
 ライアスはそのままこけて地面へと倒れそうになったフィリオーネを支えてやった。そしてフィリオーネへと声を掛ける。
 「大丈夫ですか?フィリオーネ姫。
  足下にはお気を付けくださいね……っぷ」
 あたかも心配していたかの様に言っていたが、途中までしか保たなかった。こみ上げる笑いにライアスは勝てなかったのだ。そんな様子を見たフィリオーネは耳まで真っ赤にして叫んだ。
 「あああああああああっ!!
  ばっ…馬鹿にしたっ!!!」
 フィーリアは暫くその事で暴れていたが、ふと冷静になり考えた。馬鹿にされたとはいえ、咄嗟に転ばないように配慮してくれたのは宰相のライアスだ。姫は突然突拍子もない事をしでかすが、人間として愚かではなかった。
 「でもライアス。
  助けてくれて、ありがと……」
 ぎこちなく微笑んでそうライアスへと言ったのだ。
 フィーリアは姫だから護られて当然とか、そう言った事が嫌いであった。一般人だった母の教育の賜である。この事だって、姫が護られるのは当たり前の事なのかもしれないが、助けてもらった事には変わりない。
 助けてもらったら【ありがとう】は欠かせずに言わなければならないと、母にそう教わってから考えていた。そして、姫として【ご苦労さん】の意味を含んだ【ありがとう】ではなく、心のそこからの【感謝】を込めた【ありがとう】をフィリオーネはライアスへと言ったのだ。
 「い、いえ…どういたしまして」
 流石のライアスも、この様に言われるとは思っていなかったのだろう。少し照れくさそうに返事をしていた。
 肝心のフィリオーネはそんな事には気が付かず、少し違う事を考えていた。
 何で簡単に心を暖かく、軽やかに優しく包んでくれるのだろうか?と。そうされて嬉しく思っている自分が居るのが厭だった。
 「やっぱり私、あなたが嫌いというか苦手だわ…」




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