lll back lll top lll novel top lll next lll

Humanisation Human-type Project
    第一章「突発的な部署変更」
 第二話:束の間の休息、再度の邂逅 U


 柚香と出会ってから、カイラムの様子が変わった。悪い意味ではない、良い意味である。だがしかし、それを良い事であるとは判断しがたい、といったものが柚香をよく知る人間の考えであった。
 「カイラム、そのシミュレーションで何するつもりなんだ?」
 柚香が普段の生活リズムに戻って四日目になる。ラッセルはカイラムから毎日のように呼び出されていた。ラッセルが、一番柔軟にこういったシステム制作を受け付けてくれるからか、はたまた彼が柚香に近しい人間であるのを知っているからか。彼にしかシミュレーション用のシステムやプログラムを頼んでいない。
 ラッセルは通常の研究開発に加えて、プログラミングをしていて無意味に急がしかった。少なくとも、忙しい中でわざわざこんな事をしてあげているのだ。何故こんなことをしようと思ったのか、その理由だけは知りたかった。
 問題のカイラムは返事をせず、じっと本体を眺めていた。ラッセルは辛抱強く待った。本体を見つめたままの端末は、数分ののち満足げに頷くとようやくラッセルの方へ振り返った。相変わらず無表情ではあったが、紫の瞳の瞳孔がキュル、とピントを合わせようとするかの如く、何故かせわしなく動いている。
 珍しいことに、少し昂奮しているようである。カイラムの精神状態は表情よりも、瞳のカメラとなっている部分を観察した方が分かりやすい。しかし、それは目が良い人間でなければ小さいパーツなので判別は難しい為、気が付く者は少ない。
 「コアを本体の動作に左右されず、人間が快適に過ごせるような状態に保ちたいのです。
  柚香を乗せた時、彼女はこの機体の動きや振動に耐えられなかった」
 ラッセルは、昂奮したカイラムを見た事がなかった。このように、自主的に何かを語ろうとする姿は滅多にないだろう。もしかしたら今までなかったかもしれない。
 「私は、人間を乗せても快適であると自信を持って言える機体になりたいと思いました。
  それができない限り、誰も私のKern(ケルン)にはなれないのだと」
 ラッセルはきょとんとした。カイラムは柚香をマスターにしたい一心で努力しているものと思っていた。
 「え?」
 「柚香は、もう会う事はないだろうと仰いました。
  そんな私に出来る事は、彼女の名に恥じぬ端末や戦闘機になる事だけです。
  私は、そうなるには、まずKernが必要であると分かったのです」
 正直、ラッセルはどこか拍子抜けした様な思いでいた。口を少し開いたまま、数秒考えてしまった。この、カイラムが発した言葉の意味を。その間も何かスイッチが入ってしまったのか、カイラムは語り続ける。聞き手を残したまま。
 「あと、私が今まで足りなかったものは人間とのコミュニケーションであると考えています。
  柚香は、私に人間関係は上手くいっているかと質問されました」
 遂に、カイラムは語るという行為に身振りを付けるという事を覚えたようだ。ラッセルに対して語る事をコミュニケーションの一環として表現していく練習をしているようである。当の本人は全く迷惑な話だが。
 「きっと、これらの事をマスターする頃には、他に足りない部分を見つけ出せるに違いありません」
 「はぁ……」
 「ラッセル、聞いていましたか?」
 気のない返事をしたのを、聞きとがめられてしまった。その頃には、既にラッセルの中でカイラムの行動に関する結論が出ていたが、カイラムに聞くことははばかられた。聞いても、向こうは理解できないだろうし、混乱するだけだろう事が安易に想像できたからである。
 「内容理解はできてるよ。
  柚香自慢のヒューマになりたいんだろ?」
 一瞬、今まで無表情だったカイラムの顔に、ぱぁっと光が差したように笑みが浮かんだ。本当にほんの一瞬だったが。
 「そうです。さすがラッセルですね」
 まだ、感情を表現するという所はマスターできていないようだが、その片鱗を一瞬でも見せられてラッセルはげんなりとした。カイラムは引き続き何かを伝えようとしている。悪いが、続きは自分のマスターにでもしてやれと、彼に言って返事も聞かずに格納庫からそそくさと逃げ出した。そう、ラッセルは疲れてしまったのだ。



 「――でね……って、ラッセル」
 ふいに、柚香の声が聞こえた。大丈夫?と首を傾げながら聞いてくる姿はいつもの彼女の癖である。
 「ごめん、連日カイラムに呼び出されてて……ちょっと疲れてるのかも」
 怪訝そうに、柚香は覗き込んだ。確かに彼の顔には疲れが浮かんでいるようにも思える。
 「あんまり無理しないでね。
  それとも、カイラムが何か……?」
 この前カイラムと会ったらしい柚香が、心配そうにするのも仕方がない。きっと、あの成長のない言葉遣いや態度を実際に目の当たりにしてしまったのだろう。それで、余計心配になっているのだ。ずっと一番親しくしている親友だからこそ、相手の心情に聡くてはならない。そうラッセルはいつも考えていた。今回も、これ以上心配させぬように急いで笑顔を作る。
 「聞きたいか? 別に機密って程じゃないから今回の話はできるよ」
 「うん。聞きたい」
 柚香はいたずらっ子の様な笑みを浮かべる。感情をある程度コントロールできるのが二人の共通する特徴だった。それゆえに、こうして長く友人を続けていられるのかもしれない。互いに、一定の距離以上は近寄らない。それが今までの、そしてこれからも続く暗黙のルールであった。
 「カイラムの奴、お前に会ったのがよほど刺激的だったみたいでさ。
  お前にとって自慢となるようなヒューマになりたいんだと。
  その為に自分が足りない要素とは何か、について語り出してさー……」
 柚香は、ラッセルの勢いづいたトークに唖然とした。数日の間によほど鬱憤が溜まっていたのか、ひたすら話に没頭している。その中から柚香は幾つか情報をピックアップして整理する事にした。
 「つまり、母親に褒められたい子どもみたいな状態って事?」
 「そう、それ。
  でも、感情の制御とか表現はまだまだなんだよなぁ」
 彼はそう言うと両手を頭の方で組み、椅子の背もたれに体重を思いっきり預ける。新しくもない椅子が、小さく悲鳴を上げた。柚香の方はだらしなくラッセルの座っている席の机に、身を乗り出すようにしてへばりついている。
 「あ、でも俺。一瞬あいつが笑ったのは見たんだぜ。
  それ以外は相変わらず、無表情なんだけどさ」
 その言葉に柚香はがばりと身体を起こした。ラッセルは驚いてひっくり返りそうになる。辛うじてそれを阻止するとにやりと笑った。
 「何、カイラムの表情が変わるってのがそんなに気になる?」
 「やっぱり、あれは私の気のせいじゃなかったんだ……」
 なにやら考え込むようなそぶりを見せる彼女に、今度はラッセルが身を乗り出した。どうやら柚香にも同じような経験があるらしい。彼はどんな時にそうなったのかに気持ちが向かっている。
 「お前にも見せたのか!
  いつだ、話してた内容とか」
 「言葉遣いに関して注意しただけだったんだけど……」
 その答えは不満だったのか、ラッセルは表情を曇らせた。質問に答えたのに、そんな顔をされるとは失礼だと柚香が声を荒げる。かたん、と椅子の動く音がした。
 「まぁ、もう私がカイラムに会るかもしれない状況なんて……ないでしょうし。
  この話は止めましょ。私は彼らの思考パターンが発達してきたからその解析しなきゃいけないの。
  あの子の事だけ考えてるなんて、どう考えても他の子に失礼だわ」
 そう言って立ち上がり、挨拶もせずに教室を出て行ってしまった。広い集団講義用の教室で二人っきりで会話していたため、教室の扉が閉まる音も自然と大きく聞こえる。ラッセルは再び背もたれに身を思いっきり預けて力を抜いた。
 「俺のばかー……」
 力ない呟きは広い教室に吸い込まれていった。



 バタン
 「あーあ、何やってんだろー……」
 授業も終わっていたため、そのままラッセルを残して帰宅してしまった。玄関の戸を閉めた途端、溜め息が漏れた。
 「柚香、お帰りなさい」
 「ジュニア」
 パタパタと小走りにやってきた二式は首を傾げる。実の所この動作は柚香の真似だったりするのだが、本人は気が付いていない。荷物を頂戴と手を伸ばす彼に荷物を預ける。そうしながらリビングへとやってきた柚香であるが、自分の部屋までは行かずに近くのソファへと腰を下ろした。
 「ラッセル兄さんと何かあったの?
  今日はお仕事には行かない日だと思ったけど」
 荷物を定位置に置いてきた二式が、ソファの後ろから覗き込むようにして背もたれにもたれかかる。自分の背後に重みが掛かり、柚香は振り向いた。
 「いやぁ……本当は私がカイラムの事ばかり話に出すからいけなかったのにね。
  ラッセルに文句言って、そのまま逃げて来ちゃった」
 「そっかぁ。でも、本人は気にしてないと思うよ?」
 いかにも参った、といった口調で言う彼女にヒューマは事もなさげに返事をした。そう、このようなやりとりは頻繁という程ではないが、偶にある事なのだった。数年程度ではあれ、それに付き合わされている二式にとっては、もう珍しい事でもなくなっていた。
 「どうせ、ラッセル兄さんだって今頃同じ様な事考えてるって」
 「そう思う?」
 「うん」
 二式が返事をすると、そっかぁと間の抜けた柚香の呟きが聞こえてきた。心配する程の事ではないのだ。いつも、ちょっとした行き違い等で喧嘩にすらならない揉め事をする。このレベルなら、明日にでも仲直りするだろう。二式はソファから身を離すと、途中になっていた自分の作業を再開する事にした。
 「柚香、今日のご飯はねー……」



 二式が夕飯の準備をしている内に二人は仲直りをしていたようだ。準備が終わったと声を掛けたら、明日の休みは一緒に買い物に行くと言ってきた。互いの気分転換の為にも、それは良いと賛同した。
 「夕飯食べて、片付けまで終わったら洋服何にしようか一緒に選ぼうね」
 「うん」
 後は他愛もない話をしながら夕食をとった。その最中も彼らの心の片隅にカイラムという存在が常に存在していたようだったが、かといって話題に登る事はなかった。
 カイラムや、それに関連するような内容を話題として提供するのは二式には良い事に思えなかった。そして柚香は柚香で今その事を考えたくない、と言うのが本音だった。更に言うなれば、仕事やそれに関わるような話をしない事によって、一般人としての日常を味わいたかったのだった。
 例え、それが仮初めであっても。彼女には開放された時間が必要だった。普通の女の子としての日常を過ごしたいのは、お年頃の人間だからなのだろう。二式はそう解釈する事にした。



lll back lll top lll novel top lll next lll