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 この世界には神様がいます…
 神様は何人も何百人もいます…
 神様達の事を、神祇と呼びます。
 神様には、姫巫女といわれる人間が一人就くのです。
 姫巫女は神様にとっての夫婦の片割れ。。。
 姫巫女になるということは,神様に身も心も捧げる事。


 神様の中には掟を破ってしまった者、自我を無くした者がいます。
 その神様の事を崩祇(ほうぎ)と言います。
 崩祇は、神祇が人に害を成すと認めたときに消滅させられます。
 その手伝いをするのが姫巫女なのです…


 私は、その姫巫女になりたいのです。
 それも…この世界を支配しているすばらしい神様である誘祇(いざなぎ)の――
 誘祇は姫巫女はとらないと言います。
 でも、そんな事をしたら…誘祇は消えてしまいます。
 私はそれを阻止したい。
 だから誘祇の姫巫女になりたいのです。


 この想いは……幼きころに封印されてしまったけれど…



神祇の宴
第一紀「宴」
 第一話:姫巫女になるということ




 先ほどから何か嫌な空気がしている。何か、自分に害を成す者の気配がするのだ。まどろみの中にいたひぃなはその違和感に眉をひそめる。腰まである長い彼女の髪が、太陽の明かりに(きらめ)いて茶色に近い色になっていた。
 「……」
 朝方から、誰が何の用で私の部屋にいるのかしら…。
 通常ならばこのような事は起こるはずがないのだ。彼女――そう、ひぃなは誘祇の保護を受けている娘なのだから――……
 「何の用でしょう?」
 ひぃなは誰にでも丁寧に最初は接する。
 「…娘、我が姫にならぬか?
 そなたの力は我には狂おしい程…心地よいのだ」
 「遠慮させて頂きとう存じます。わたくしは、誘祇の加護を受けている身ゆえ――」
 この名も知らぬ神祇は、やはり私の事を姫巫女にしたかったのか。ひぃなは心持ちぐったりした気分で考える。さてどうしたものか、と。別にどうしたもこうしたも無いものだとは思わないのだろうか。誘祇を呼んでしまえば一発で事足りるだろうに。だが、そうはしなかった。
 別にそのようにしないのはひぃなの神祇への思いやりがあるというわけではない。確かに、誘祇を呼んでしまえば、にこやかに他人が見ていたら蕩けてしまう様な笑顔であの程度の神祇なら苦もなく吹き飛ばしてしまうだろう。これなら簡単に済みそうである。


 では何故そうしないのか。


 それは,こんな早朝から誘祇を呼び出すと言う事が彼女には堪えられないからだ。
 早朝から呼び出すと言う事は、彼の貴重な睡眠を妨げるという事であり……そのことは彼の仕事にまで影響を及ぼしかねないという事でもある。
 誘祇はひぃなに優しい。いくら自分が仕事で忙しくとも、ひぃなを守護する為ならば、多少の無理も(いと)わない。その上、平然としているから実際の所疲れているのかもわからない。なおさら性質が悪い。
 だから、余程の事がない限りはひぃなは誘祇を呼ぶ事を躊躇(ためら)う。今回も大した事ではないと考えているからこそ呼ばないだけの事。慈悲深いわけでも何でもなかった。
 「別に良いであろう?我らはそなた達が許可をしてくれなけねば手を出す事が叶わぬのだから……」
 「だから……お断り申しております」
 ぴしゃりと言いのけるひぃな。対して粘る神祇。ひぃなには悪気がないのだろうが神祇が哀れに映る。
 「のぉ、我が姫巫女に――」
 「なりません」
 「…………むぅ」
 いい加減、ひぃなも相手をするのに疲れたのか……言葉が冷徹になりつつあった。そして、神祇の方はぐぅの音もでなくなっていた。
 「申し訳ありませんが、ほんっとうに…御退却くださいませ!」




 「――なかなかに…風当たりの強い娘じゃった……」






 「全く、しつこいのよ」
 「ん?何が??」
 ひぃなの隣を歩いている青年が聞く。ひぃなの格好は、姫巫女を養成している由緒正しい学校の着物である。一方青年の方は狩衣を纏っている。この国の人間としてはありえない銀色に似た透明感のある美しい髪を、膝下まで伸ばしている。もちろん人間ではなく神祇である。それも、最高位の神祇である誘祇だったりする。
 「うん。今朝に現れた間抜けな神様のことよ……」
 彼は溜め息半分にひぃながそう答えれば、さも当然かのように
 「あぁ、彼なら今日は仕事を一杯押し付けてきたから今頃反省しているんじゃないかな?
  みんなも懲りないよねぇ」
 と言ってのける。その言葉に毎度の事ながらひぃなは驚く。
 「ちょっと……気が付いてたの!?
  折角人が余計な心労をかけまいと努力してたのに!」
 そんなひぃなを見ながら、楽しそうに笑う。
 「だって、私の保護を受けていると知っておきながらひぃなに言い寄るなんて……不躾極まりないではないか。
  そんな神祇にはお仕置きが必要というわけなんだよ、ひぃな。それに……ひぃなの家には私の結界が張ってあるんだ。それを通過してまでも会いに行くなんて……じゃなくて、通過したら私だって気が付くさ」
 いくらなんでも自分の結界なんだから。と付け足す。笑ってはいるが、その目はもう笑ってなどいない。ひぃなはそれを確認すると、今朝の神祇は彼による『お仕置き』とやらが増えそうだという予感がした。ひぃなはどこか遠くを見ながら心の中で呟いた。名も知らぬ今朝の神祇よ……私、あなたに同情します。明日まで、生きていられるといいですね……――


 「送ってくれてありがと、誘祇。
  今日も授業頑張ってくるわね」
 「うん。どういたしまして。何か困ったことがあったら、すぐに呼ぶんだよ?」
 首を傾けつつそう言う誘祇は、心配そうだ。もし、ひぃな以外の人間が誘祇にこんな風にされたとしたら、きっと卒倒するのであろう。顔のつくりだけでも行えるだろうが、なんと言ったって彼の属性は『誘惑』であるから……――
 とはいえ、もう長年の知り合いになりつつあるひぃなにとっては慣れきったことなのであった。
 「大丈夫だよ、誘祇。じゃ、いってきます」
 「心配だなぁ……いってらっしゃい」
 ひぃなが校舎の中に消えるのを確認してから、誘祇は満足そうに頷くと仕事場へと戻っていった。

 「おはよう、ひぃな。今日もあの御方に送ってきてもらったの?」
 「あ、おはよう水鶏(くいな)。うん。そうだよ。誘祇ったら過保護だから……」
 挨拶をしてきたのは、肩まで伸びた髪を緩く結わえた少女である。綺麗な黒髪がさらさらと揺れる。ひぃなと同じ組の姫巫女候補だ。彼女は最近ようやく誘祇に慣れてきたらしく、彼に向けた尊敬語の扱いが緩やかになっている。ひぃなとは幼少の頃からの親友であり、代々決まった神に仕えることになっている由緒正しいお家柄だったりする。
 「今日の授業って、実践だったよね?大丈夫かな……私たち」
 「大丈夫よ。数人でまとまっての行動にきまってるもん」
 不安そうに言う水鶏と余裕げに言うひぃな。これでも、二人は組では一番を争う程の優秀な人材なのだ。もう一人一番を争う人間がいるのだが、まだ登校してきていないようだ。
 「それにしても」
 とひぃなは言う。
 「あと少しで遅刻、よね。棕櫚(しゅろ)ったら――」
 「俺の……っ、噂してやがんな?間に合ったぞ、時間」
 息を切らしながら、教室へと入って来た少年はひぃなの机に手をついて言う。釣り気味の目は、猫のようだ。だが、言葉遣いとは程遠く髪の毛をきちんと後ろで束ねており、黙ってさえいれば麗しい容姿をしていた。そう、黙ってさえいれば。
 「仕方ねぇだろ?可愛くて美くしい自分の嫁さんが、俺のこと放してくれねぇんだからよ……
  つい、こう……旦那として、いや……男としてさぁ――」
 ばきゃっ
 棕櫚は、後ろに突然現れた黒い気を纏った誘祇に張り倒された。
 「ひぃなの前で汚らしい……
 「い……誘祇……」
 流石のひぃなも、突然のことに一瞬呆けていた。水鶏に関しては……怯えていた。言わずもがな、当事者である誘祇はあたりに黒い気を撒き散らしている。原因を作った棕櫚は、完全に伸びていた。同じ組の人間は「またかよ」と心の中で思いながら、四人を遠巻きに見守っている。
 「誘祇」
 「何だい?ひぃな」
 ひぃなの呼びかけに、振り向いた誘祇はそのまま笑顔を凍らせた。
 「仕事はどうしたのかな?誘祇のお姉さんである草薙祇(くさなぎ)姉さんが、すごい勢いで誘祇を睨んでるんだけど……?」
 そういうひぃなもすごい形相だ。草薙祇と一組にしてみれば、恐ろしさも倍増である。
 「誘祇、どうしてこんな所で遊んでいるのかしら……?」
 草薙祇は誘祇同様に伸ばした髪を弄びながら、誘祇に視線を送っている。誘祇は、まるで蛇に睨まれたかのように動かない。そんな膠着状態が暫く続き――
 「さ、愚弟よ。書類が溜まっている。十巻はあるからね!」
 という草薙祇の声と共に神祇の二人は消えていった。

 「何だったんだ?あれ……」
 と、目が覚めた棕櫚が最後に呟いた。



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