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ことらがひぃなの家に転がり込んでから数日が経った。今の所、大きな騒動は起きていないのが不思議なくらいだ。とはいえ、ひぃな達には小さな悩みがあった。
「私は、どこかおかしいのだろうか?」
本人も戸惑っていた。今、ことらは十二、三歳程度に見える。ひぃなの前に現れた時は十歳に満たない容姿であった。短時間でここまで成長する人間はいない。
放課後、ひぃな達は花桜の木に集まっていた。桜の木である大樹は、もうすぐ梅雨が来ようという時期の為、緑色の葉を伸ばしていた。森の深い所にあるわけではない。木漏れ日がきらきらと地面へと光の模様を作っている。
「人間としては、おかしいけど……」
「う」
ひぃなの言葉にことらが下を向く。白虎はつまらなそうにゆっくりと尻尾を振った。白琥祇(はことらの背もたれになっている。
「ねぇ、前から思っていたんだけど。
ことらは本当に人間なの?」
自らの木にもたれかかるようにして、花桜が口を開いた。白琥祇の尻尾が神経質にぴくり、と動く。彼の視線は精霊王に向けられていた。
「この子の様子じゃ、ことらは何も知らないみたいだね。
でも、そっちは違うみたいだ」
そう言って精霊王は戸惑っている少女の後ろを指差した。後ろにいるのは、背もたれと化している白琥祇である。彼は少し持ち上げていた頭を地へ伏せる。ことらはその様子をじっと見ていた。
暫く誰も言葉を発する事はなかった。自分の主が無言で見つめてくるのに圧力を感じたのか、白虎は観念したかの様に口を開いた。
「獣神の眷属だ」
白琥祇はことらの横へと身体を動かす。そして瞬く間に人の姿になった。彼は不安そうに見上げる少女の頭を優しく撫でる。
「獣神は、基本的に眷属という神を連れ歩く。
神の中でも弱い神が獣神の眷属となる」
花桜はゆっくりと頷いた。獣神は本来の姿が獣であるという変わった神祇である。姿によっては人間に恐れられたり、他にも思わしくな効果をもたらす事がある。それを最小限にとどめる為、人間の姿を元々とする獣神と人間との間を取り持つ存在が必要であった。神祇の中でも力の弱い神というものがいる。
その中には精霊よりも弱い力しか持たぬ者もいる。そういった神祇を保護し、役割を持たせたものが眷属であった。余談ではあるが、導祇は眷属すれすれの存在である。本人の賢さでそれを免れてはいるが、能力的に言うと弱い分類になる。誰にも言わないから、力のある一部の神にしか気付かれていないが。
花桜が取り留めもなくぼんやりとしていると、一番驚いている少女の声が聞こえた。
「何故今まで黙っていた。
私が眷属ならば、お前の方が立場は上であろう?」
「それが……何とも、難しい事になっておりまして」
ことらへの接し方を変えるつもりはないようで、白琥祇は丁寧に答える。互いにその方が接しやすいのか、ことらもそれを当然として受ける。
「ことら様は、獣神と眷属との間の御子です。
獣神と眷属の間に御子が生まれるのは、前例がなく――」
「どちらとして扱えば良いのか分からなかったのだね」
「はい」
花桜がふわりと獣神へと近づく。基本的に神祇間での婚姻はない。特別にそれが認められるのは、神祇の数が著しく低下した時くらいである。神祇が減る事自体が稀である事を考えると、滅多にないと分かる。その上、永遠に近い時を生きる為に婚姻があったとしても子ができるとは限らない。故に、子ができるというのはとても珍しい事なのであった。
「で。どうしてあなたがこの子に従うような事に?」
珍しく今まで静かに聞いていたひぃなが口を開いた。彼女の隣には棕櫚(が胡坐をかいている。反対側には水鶏(が寛いでいた。
中でも水鶏は、自分は関係ないとでも言いたげな程、ゆったりと座っている。話だけは聞いている、といった感じである。
「獣神の中でも一番力を持つ御方の子であるからだ。
俺は……まぁ、獣神の中で強い方だからな。
成長するまで守り、支えるにはうってつけだった」
「ことらに力は与えないで育てていたの?」
「ああ。必要な時以外は与えていない」
ひぃなと白琥祇のやりとりを聞きながら花桜はうんうんと唸っていた。そしておもむろに獣神の頬に手を当てる。驚いて目を見開いたまま固まる彼の瞳には花桜が大きく映し出されていた。
「きみ、麒麟の眷属?」
「え、えぇ。」
「麒麟の子なのにことら?」
「……そうです」
ふぅん、と言いながらもどこか不満そうにする。そんな精霊王にどうする事もできず、固まり続ける獣神。頬に当てられていた手がすっと下がる。白琥祇は、桜色の瞳がきらりと輝いたように見えた。
「まぁ、そこは良いか。特に今明らかにする必要があるわけでもなし」
「私は気になる」
「ひぃな、根掘り葉掘り聞かれたくない事の一つや二つあるでしょ?
相手が困っていたら、引いてあげるのが大人というものだよ」
ついこの前まで子どもの姿をしていた花桜に言われ、ひぃなは黙った。ひぃなはまだ、彼の事を自分より年下であるかのように考えているのだ。気持ちの切り替えがまだできていないのは、花桜ではなくひぃなの方だった。青年の姿になった精霊王は、左手を頭上にかざした。桜色の、柔らかな光がそこから生まれる。気が付けば、夕日が傾き始めたようで橙色の光が差し込んでいた。
「神が自覚なしに子どもの姿のままで成長していなかったという事は、常に栄養不足の子どもと一緒。
そうまでして、何が目的だったの?」
「いえ、わざとそうしていた訳ではないのです。
成長させ方が分からなかっただけで……」
気まずそうに顔を逸らすその姿は、どこか哀愁を漂わせていた。育て方が分からなかった、というのは本当だろう。そしてその事実は彼にとって好ましい状態ではなかったという事だ。
「ふぅん。
じゃあさ、誘祇の姫巫女になりたいってのは何。
獣神が誘祇と近づきになって、何かするといった考えがあったりとかはないよね?」
精霊王は今どのような立場か分かりやすく言うと「誘祇上(の懐刀」である。彼の代わりにひぃなの周りの環境に気を配っている。必要とあれば、誘祇の助けになれるようにもしている。そんな彼の言及は、誘祇の言及でもある。やんわりと言ってはいるが、その実詰問されているのと大して変わらない。
「そのような事は全く!
わ、私は……彼の方の事をことら様にお伝えしただけで……」
かぶりを振ってどもりながらも言葉を発する。哀れだった。思わずひぃなが声を掛ける程に。
「花桜、白琥祇が怯えてるわ」
「それは失礼。
つい、面白くて」
面白くて、の言葉に白琥祇の頭が落ちる。その目の前にはからからと笑う精霊王。色々と限界が来たようだ。あっという間に虎の姿に戻った。きゅぅ、と動物らしく鳴くと身体を丸めて姿勢を低くした。どこをどう見ても、「伏せ」の姿勢である。
「花桜殿、私の目から見ても……この者はからかわれるのに慣れておらぬ。
いじめすぎると消えてしまう」
話題の中心であることらがすまなそうに口を挟む。棕櫚がやれやれといった様子を見せる。
「そうだぞ、温厚そうな虎じゃないか。
しかも幼女好きだ」
虎の口があんぐりと開いた。どう見ても間抜けな顔である。花桜はとうとう転がる勢いで笑い出した。棕櫚は棕櫚で隠れて笑っていた。もう収拾がつかなくなってきている。
「おぬしらっ!
私の白琥祇をいじめるでないと言うに!」
堪忍の尾が切れたらしい。沸点までが短いものだ。ひぃなが重い腰をあげて袴についた葉をはたき落とす。ことらの所まで行き、後ろから軽く抱きしめた。
「もう、この子が成長する理由は分かったんだからお開きにしよう?
私がこうやって力あげて育てれば良いんだし色々もう解決したよ」
「うむ。私は大丈夫だぞ」
ことらはひぃなの腕の中からやりにくそうに白虎を撫でていた。そうしていると、お互いに安心するようだ。彼は撫でられながら小声でぶつぶつと何かを呟いていた。余程からかわれているのが衝撃的だったのだろう。
「ふふっ、あー面白かった。
これ以上暗くなる前にお帰り」
まだ笑いが収まらないらしい花桜はそう言いながら水鶏の方へ行き、手を差し出す。棕櫚はもうここに用はないとばかりに歩き出した。ひぃなの後ろからことらを背に乗せた白琥祇がとぼとぼとついて行く。
桃色の光を纏った集団は、ぞろぞろと精霊王の森から離れていったのだった。
彼らはまだ知らないのだ。この時誘祇の方に何があったか。
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