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 翌日、ひぃなは不機嫌だった。もとい、げんなりしていた。棕櫚(しゅろ)のせいではない。棕櫚自身、ひぃなと一緒に登校している最中に、その原因を見付けてげんなりしてしまったのだから。
 「どこからともなくついてこないでくれる?
  そもそも、何でついてくるのよ」
 「あなたと居れば誘祇(いざなぎ)様に会えるからに決まっているでしょう」
 そのままことらは、ひぃなの後に続いて教室へ侵入していた。先に教室に来ていた水鶏(くいな)もそれには驚いていたが、想定内の事だったのだろう。落ち着いた様子だった。
 「ここ、学校よ?」
 「分かっている」
 ひぃなは授業の準備――本日最初の授業は座学である――として筆と硯の用意をしながら、ことらの様子を見ていた。ことらは落ち着いていた。何をするでもなく、ただひぃなの側に居た。強いて言えばひぃなをずっと見つめているわけだが。
 「あなたの座る場所はないわよ」
 「構わない」
 念の為に言っておくと、ことらは軽く頷きながら返事をした。ひぃなの斜め後ろを自分の場所と考えたのか、そこに陣取るようにして座り込んだ。ひぃなの方は彼女に監視されている様で、なかなかに居心地が悪い。
 そうしている内に、授業は始まった。誰もことらを注意する動きはない。恐らく接触した事のない人間に対してのみ有効な隠遁の術でも使っているのだろう。これはある程度の集中力が必要だ。ひぃなはそうしてまでも張り付いていることらの執念を感じ取った。



 昼も過ぎた頃、ひぃなはとうとう慣れてしまった。というより、特に何をするでもない相手を随時気にしている事に疲れてしまった。不安に思って目立たないようにこっそりと様子を見に来た花桜(かおう)は驚いた。二人は仲良さそうに――とはいえ、周りから不自然に見えないよう、工夫をしていたが――話をしていたのだ。
 「だから、これはこう……」
 「なるほど、勉強になる」
 ふむふむ、と頷くことらは楽しそうだった。ひぃなも嫌ではないようだ。花桜は一体どうしてこの状況になったのか、分からなかった。
 「ひぃな、こんにちは」
 「花桜」
 花桜に対しても普通に応じた。気まずそうとか、何かを含んだ表情ではない。ことらは、きょとんと彼を見上げていた。
 「ことらも、こんにちは」
 「うむ……こんにちは」
 「二人は、仲良くなったのかい?」
 素直に反応することらの頭を撫でながら、ひぃなに聞いた。少女は気持ちよさそうに目を細める。
 「そうね、意気投合ってやつかしら。
  まぁ……無意味にお互い気にしあっても仕方ないしね」
 「なるほど」
 花桜は何がなるほどなのか、いまいちよく分からないまま返事をした。少なくとも、精霊王の心配はいらないようであった。
 「二人とも困っている様子じゃなければ良いんだ。
  僕はそこが心配だっただけだから」
 そう言うなり、彼は水鶏に挨拶もせず姿を消した。ことらとひぃなは顔を見合わせる。授業の始まりを鐘が告げた。
 「また分からない事があれば、遠慮無く聞いてね」
 「あぁ、ありがとう」



 一日の授業も終わり、いつもと同じく家へ帰ろうと動くひぃな達の前にことらが立ちはだかった。いつの間に彼女の下へやってきたのか、白琥祇(はくぎ)の姿もあった。だが、彼女の瞳はは敵対の意志を灯したものではなく、どこか不安そうに揺れていた。
 「ひぃな」
 「どうしたの? ことら」
 不審がる様子を見せぬよう、ひぃなは微笑んだ。棕櫚は無反応を貫く。水鶏はそんな彼を呆れたように見遣る。ことらの隣には、寄り添うように白琥祇が座っている。
 ことらは、気持ちを落ち着かせたいのか、白琥祇の背を無駄に根気よく撫でていた。中々言葉を発しない彼女に業を煮やした棕櫚が声を掛けようとする。その度にひぃなが彼をつつく。全て分かっているかのようなひぃなの表情に棕櫚は開きかけた口を噤むしかなかった。
 「……ひぃな」
 「うん」
 「ひぃなの家に泊まっても、良いか?」
 「良いわよ。いらっしゃい」
 すんなりと出た許可の声にことらの表情が明るくなる。その様子に水鶏が笑みを浮かべ、棕櫚はそっぽを向いた。
 「ありがとう……っ」
 「さ、早く帰ろっか」
 ことらの手を取り、早速歩き始める。白琥祇は従順に二人の後へ続いた。どこか気にくわないといった様子の棕櫚を引っ張りながら水鶏も続く。心配からか、学校へ向かった花桜はその様子を近くからこっそりと見守っていた。花桜はあの中に加わりたかったようだが、結局できなかった。
 段々と遠ざかっていくひぃな一行を背後から見守っている者が花桜の他にあと一組いた。
 「ねぇ、あれ……本当に良いのかな」
 「あ?」
 それぞれ一人は上部で一纏めにしており色は深い藍色、もう一人は下部で一纏めにした鳶色の髪をしている。地祇と導祇である。
 「あの幼子、ひぃなの家にお世話になるみたいだよ。
  後々面倒な事になるんじゃ……」
 導祇は不安そうに前を見つめる。その先に居たはずのひぃな達の姿はもうない。
 「大丈夫だ。誘祇もそう思ってるからこそ、ひぃなに任せたはずだ。
  それに、寄り添う神も居るからな。きっとあいつは俺達みたいな関係を望んでいるんだろう」
 そう言って、地祇は導祇の肩に手を回した。導祇はそれに甘えるかの様に、体重を預けた。
 「でもさ。片方にその自覚が全くないってのは大変だよね」
 「あぁ。まぁ……ひぃなと一緒に生活すれば否が応でも自覚するさ」
 学校の監視役と守り役は静かに顕現を解いた。ゆったりと空気が動く。次の瞬間には二人の姿は無かった。今日も、何事も無く学校の一日が終わろうとしている。誰もいなくなった校舎が夕日を受けて紅く色づいていた。



 幼い少女はぽかんとしていた。それはそのはずだろう。ひぃなの家は、特殊な結界を張っているのだ。それも誘祇とひぃなの父が協力して作り出したものである。
 「なんじゃ、この結界は……」
 「大丈夫。気にしないで。
  この家の人間が許可した者は入っても何も起きないから」
 「いや、そういうわけではなく……」
 恐る恐る、ことらは結界の中へ一歩、踏み込んだ。入ってみた感じ、違和感はなかった。許可されている、というのはどうやら本当の事であるようだ。しかしまだことらの疑問は残ったままである。
 「この結界は、何のための物なのだ?
  普通の結界ではないだろう。しかし強固なわけではない」
 「敏感といった方が、正しいかもしれませんね……」
 ことらの後を、白琥祇が続けた。彼女はそれに頷いて同意を示す。ひぃなはその一連を見て、ことらに対する認識を変えた。
 「ことら、よくそこまで分かったわね。
  そう、この結界は侵入者かどうか判断し、その情報を的確に術者へ流すことを目的としているわ」
 それが、誘祇の守護なのだ。そうひぃなは語った。少しだけ、誇らしげに。侵入者が攻撃的だと判断されれば、ひぃなの父がすぐに現れるようになっている。対応不可能であれば、更に上位である誘祇が。そうしてひぃなは守られているのであった。
 「まぁ、そんな事はどうでも良いわね。
  ようこそ、我が家へ」
 ひぃなの家は、結界を目の当たりにして驚いたことらが思っていたのとは異なり、中は普通の家だった。




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