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 「ひぃなさんは……」
 「……」
 質問する教師に棕櫚(しゅろ) は返事をしない。ひぃなは棕櫚に抱きかかえられ横になっている。
 柔らかな風が彼らを包み込み、そして現れた。



 「誘祇(いざなぎ)……」
 「ひぃなは……っ」
 誘祇は銀色に似たその透明で美しい髪を、後ろで揺らめかせながらひぃなを抱きかかえている棕櫚に近寄っていく。棕櫚は誘祇が現れたことに安堵のため息をつく。誘祇は不安げにひぃなを見つめる。その眉間には皺が寄っていた。
 「力を…使ったのだね……」
 誘祇は(うやうや)しくひぃなを棕櫚から受け取り、横たえる。ひぃなは温かみが失せ始めている。血の気の引いたひぃなは青白く、だがそれ故の美しさを見せていた。
 誘祇はひぃなの額に左手を乗せ、右手でひぃなの上を滑らせる。右手は微かに光を発している。誘祇の右手がひぃなの腹部で止まる。
 「………」
 誘祇が沈黙していると、棕櫚は心得ていると言うかのように頷く。
 「先生。とりあえず後ろ向いて〜
  誘祇が困ってる」
 そう教師に言い、後ろに向かせた。誘祇はそれを確認するとひぃなの着物をはだけさせた。ひぃなの胸部と腹部がさらけ出される。棕櫚は事もなさげに見ているが、教師の方は何が起きているのか気になってしょうがないらしい。
 誘祇は先ほど右手を止めた部分に顔を寄せるとその部分に唇を付け、小さく呪を唱える。誘祇の長く美しい髪が風をうけたかのようにたなびく。誘祇の呪に反応して、光が生まれた。その光は、誘祇が口付けている部分へと集中しひぃなの中へ収まった。先程よりも幾ばくかひぃなの顔色は良くなっている。
 誘祇と棕櫚はそれをみとめ、安堵する。教師は、後ろを向いたまま何がどうなったのか未だに理解できていない。誘祇は、すぐにひぃなの着物を元に戻した。そして、棕櫚へと向き合う。
 「消費が激しい、か…?」
 棕櫚の言葉に、誘祇は申し訳なさそうに頷いた。棕櫚は軽く溜息をつき、軽く笑った。
 「いいよ。ひぃなが悲しむのは俺だって厭だからな。
  女じゃなくて申し訳ないが……我慢してくれよ〜」
 「済まない。棕櫚」
 軽口をたたく棕櫚に、誘祇は口付けた。誘祇はじんと広がる巫力の感覚に蕩けそうな笑みを浮かべる。棕櫚は巫力を吸われた為に汗が滲んでいる。
 「巫力、どれだけ吸ってんだよ……」
 「つい……済まないね、棕櫚」
 あーあー、それもこれも全部このひぃなの為だもんなぁ。と棕櫚は苦笑気味に笑う。所詮はひぃなに恋をした男の一人。結局のところ憎めないのだ。今は神凪(かんなぎ)として、神祇と結婚している身ではあるが、以前棕櫚はひぃなに恋をしていた時期があった。今でも、人間の女では一番ひぃなが好きなのである。
 「でも」
 「ん?」
 誘祇は眉を寄せる。棕櫚は黙って聞いている。
 「ひぃなが無事でよかった。と言いたいところだけど…
  身体の崩壊具合が芳しくないんだ。私が視た当初は、この程度の崩壊はまだ起きていないはずだったんだから」
 「……」
 「棕櫚、どうしよう。こうやって私は治療も込めて彼女の崩壊が進まないように努力はしているけれど、崩壊の進度の方が早いかもしれない。
  私は……ひぃなを、なるべく長生きして良い思い出でいっぱいにして…………そして、見送りたいのに」
 「誘祇……」
 棕櫚は、初めて見た。誘祇がここまで弱音を吐き、表情を歪めるところを。棕櫚にとっての誘祇は飄々(ひょうひょう)としていてつかみ所のない神祇であり、いつも強気で弱音などとは無縁の存在だったのだ。棕櫚はひぃなのことを誘祇がどれほど想っているかを改めて知ったのだった。
 「誘祇上(いざなぎのかみ) よ。
  我が、この姫巫女候補と戦った崩祇ぞ」
 誘祇の背後に静かに崩祇が現れた。さりげなく崩祇は棕櫚が誘祇に近づいたあたりから結界を張り、教師のいる場所とこの場所を隔離して時期を待っていたのだ。誘祇は気がついてはいたが、別に気にはしていなかった。この崩祇は誘祇の見知った者なのだ。
 「そうか。お前か……。
  なるほど、ひぃなが意地を張って力を出すわけだ」
 「すまぬな。つい、からかいたくなってしもうた。
  これほどの者とはつゆ知らず。申し訳ない」
 「いや、それは別に気にしていないから大丈夫だよ。地祇」
 地祇と呼ばれた崩祇は、表情を崩すと風に包まれた。その風が静まった頃には先ほどの崩祇の姿はなく、若い青年の姿があった。地祇はにやりと笑い、それを見た誘祇は情けなさそうに笑った。
 「ああいう可愛い女の子を見ると、ついからかいたくなっちまうんだ。
  誘祇も可愛いからからかいたくなるしなー。俺もまだまだだな」
 「私は可愛い訳じゃぁないんだけど」
 「ちょっと待て。誘祇」
 にこやかに話し始めた二人の神祇に棕櫚はつっこんだ。
 「どうかしたの?棕櫚」
 「どうかしたのじゃねぇって。
  ここを統括してる奴は崩祇じゃなくて、崩祇に扮した神祇だったつーのか?」
 「あぁ、うん。そうだよ?」
 知らなかったのかという言い方をする誘祇に棕櫚は切れた。
 「だったら、ひぃながこんなんになる前に止めてやればよかっただろ!」
 地祇は棕櫚を一別すると、和やかに言った。
 「お嬢ちゃんは、逃げる俺をずっと攻撃してたんだ。
  俺が何言っても無駄だと考えるのが筋じゃねぇか?」
 「そりゃ、そうだけど……」
 「お嬢ちゃん自身、俺に誘祇の名を出されて苛立っていたからな。
  俺のせいだって言われても俺は否定しないよ」
 そう言われると、棕櫚は沈黙するしかなかった。自分の非を認めている者に向けてわざわざ叱ることもない。
 「地祇、棕櫚を苛めちゃだめだよ。
  彼はこう見えても意外に純粋な少年なんだから」
 「意外に言うなよ、このへたれ神祇」
 「そんなこと言われても、私は何も動じないよ。あと地祇、お嬢ちゃんじゃなくてひぃなだよ」
 誘祇は呆れ顔で棕櫚と地祇に言う。そう言われた地祇は「ひぃなひぃな……」と口ずさむ。
 「まぁ、そんなことはどうでも良いから棕櫚」
 「あぁ?」
 「ひぃなを保健室に連れて行って寝かせておいてくれないか?」
 こんな処で眠らせておくなんて最低だ。と言いながら誘祇は棕櫚の背中を押す。棕櫚は仕方ないなと首を竦め、ひぃなを抱き上げた。
 「ひぃなを起こさないように、慎重に運ぶんだよー」
 「くれぐれも変な気起こすんじゃねぇぞ〜」
 「妻帯者に何言ってんだよ。この腐れ崩祇」
 変なことを言ってきた地祇に棕櫚は小さく悪態をつく。
 「聞こえてんぞ!」
 「はっ」
 「二人とも、楽しそうだね。
  さて、私はそろそろ仕事に戻らないと。こっちに来るときに妨害してきた姉上を吹っ飛ばしてきちゃったからなぁ……」
 どうしよう、今度こそ殺されちゃうかも。と涙目で地祇に訴える誘祇。地祇は「ひぃなの為に死ねるなら本望だろ、お前」と言って笑った。



 「確かに、それは幸せな死に方だ」
 「そんなことになったら、きっとお前は彼女に嫌われるだろうがな」





 誘祇が家に戻ると、目の前に影ができた。
 「誘祇」
 「姉……上」
 誘祇は嫌な汗を背にかき始めた。草薙祇(くさなぎ)の顔は歪み、何ともいえない恐ろしさを醸し出している。
 「先程はどうしたのかしらぁ?」
 「あ……姉」
 「人のこと吹っ飛ばして!仕事も吹っ飛ばして何しに行っていたの!?」
 草薙祇の言葉に反応して辺りにある物がかたかたと音を立てている。今にも誘祇に飛んできそうだ。誘祇は恐怖のあまり震えている。
 「えと、そのですね……」
 「うん?」
 「その…ひぃなが、危険だったから……」
 誘祇は草薙祇に圧倒されて、どんどん声が小さくなっていく。
 「誘祇、あなたは何をするために存在しているの?
  ひぃなを守るためじゃないでしょう。この国を守るために存在しているの」
 「そう、だけど──」
 草薙祇は誘祇を諭すかのようにゆっくりと静かに言った。
 「私たちは神祇よ。人間を正しい道へと導くべき存在。
  その中でも私たちは創世に携わった神祇である伊弉諾尊(父上)の後継よ。名を継いだのはあなた──誘祇──でしょう。
  あなたの兄二人が現在不在であり、私はあなたのお目付役。兼、いざというときの代替え。
  そして何より、父上はあなたを後継に選んだ──……」
 草薙祇は誘祇に近づきそっと頬に触れる。そして慈しむように微笑んだ。
 「どんなに辛かろうと、それは変えられることの出来ない事。
  心配ならば、姫巫女として迎えてしまえばいい。どういう結果を招くかはあなた次第よ。
  一応知っているのではなくて?彼女の血筋を見れば、不可能ではないは──」
 「姉上」
 草薙祇を諫めるように言葉を挟む。一方彼女は苦笑気味に答えた。
 「まだ、姫巫女はいらないと言うのね。その上、あんな封印もしちゃって厳重な事この上ない」
 「いいんだ。私には、彼女は眩しすぎるよ……」
 誘祇は軽く頭を振ると頬にあった姉の手を離させ、「仕事に戻る」と姿を消した。残された草薙祇は俯く。
 「私は、どっちにも幸せになって欲しいだけなんだけどな…
  でも、結局決まり事に関して厳しくやらないと下々の神祇に立つ瀬無いからつい、ね」
 「貴女はそのままで良いんだよ。彼が変わらないといけない問題なんだから」
 後ろから草薙祇を抱きしめる形で現れた一人の神凪。その顔は柔らかく微笑みを刻んでいる。彼に目を向けると、草薙祇は表情を和らげた。
 「分かっているのよ。だけどやっぱり心配でねぇ」
 「世話を焼きすぎるのも、問題だよ」
 九幻(くげん)は嫉妬しすぎよ。と草薙祇は笑う。しょうがないじゃないかと九幻と呼ばれたその神凪は彼女を抱く力を更に込めた。  


補足(九幻のプロフ+神祇の決まり事)
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