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 静かな空間に一人 ひぃなは眠っている。その肌は血色がよくなっている。淡い朱を差したような唇に頬は可愛らしさというよ りは、妖艶さをたたえていた。
 「んぅ」
 瞼が数度揺れた後に瞼が開き、瞳が現れる。その瞳に映った物は――
 「白、白、白……
  あぁ、ここ――保健室ね…」
 小さく欠伸をする姿は先程の妖艶さはなく、どちらかというと可愛らしい小動物のようであった。ひぃなはきょろきょろと辺りを見回すと、小さく背伸びをする。そして近くにある窓から校庭を見渡し自分の身に起きたことを考えた。



 力の使いすぎで、自分は倒れたのだろう。きっと棕櫚(しゅろ)がここまで運んできたのだろうが……
 「問題は、完全回復しているという事よね…」
 ひぃなはふぅと息を吐くと自分の手を腹部へと当てる。力の使いすぎで体に不具合が起きたはずだ。だが、その気配は全くない。まるで何者かが癒しを行ったかのようである。
 棕櫚が行ったとは思えない。癒しは彼の不得意とする分野である。だからといって水鶏(くいな)が行ったとも思えない。確かに癒しは彼女の得意とする分野ではあるが、ここまで完璧な癒しが行われるのを見たことがないからだ。確率が高いのは、あの崩祇(ほうぎ)だ。
 「………あいつは、偽物だものね」
 倒れる直前に視たものは、神気を纏った青年の姿だった。雰囲気はあの崩祇であったが、間違いなくあれは神祇としての風格を持っていた。よくよく考えてみれば、崩祇が重要な役割を任されることは有り得ない。力を持たせれば叛乱する可能性が高くなるのにわざわざその種を撒く様な事はしないだろう。高位の崩祇ならばなおさらである。高位の崩祇に下位の崩祇の管理を任せれば一つの軍を成すことも出来る。
 ならば、神祇に崩祇の真似事をさせて崩祇の統一を図れば良い。たとえ崩祇に扮した神祇であってもより自分らに近い者が統率をするとなれば、下級の崩祇は素直に従うであろう。
  下級の崩祇には殆ど自我が残っていない。ただ、自分らに近く強い力を持つ者には惹かれる習性がある。その習性を巧みに利用したかなり賢い考えである。
 「誘祇は……当然、誘祇が指示しているのよね?」
 ひぃなは振り向くと、いつの間にか顕現していた崩祇――否、地祇である――へと問いかける。
 「ほぅ、すぐに気が付くたぁなかなかじゃねぇか」
 「莫迦にしないで頂戴」
 じろりと睨むひぃなに地祇は楽しそうに笑う。
 「元気そうで何よりだ。俺等心配してたんだからな?」
 地祇はそう言うと、ひぃなに近づきその頭を軽く叩く。
 「子供扱いしないで」
 こりゃ失礼、と笑いながら手をどける地祇ではあるが。ひぃなは軽く話題が逸れていることに何となくムッとしていた。
 「私のした質問の答えは?
  それと、先生はどうしたの?」
 話をずらしてもすぐに元通りかよと悪態を吐くも、素直に答えを言う。
 「誘祇上(いざなぎのかみ)が指示したに決まってる。姫巫女や神凪(かんなぎ)の育成には崩祇を倒す練習が出来ないと困るからな。経験も積まなきゃなんねぇし。
 で、俺のことを見てびびってたあの教師のことなら……あんまし役に立たなそうだったから放置したぜ」
 ひぃなは眉を寄せる。地祇は続けた。
 「これしきのことで一々表情を崩すほど動揺してたら実際に何か大事が起きたときには全く戦力にならん。
  教師としてはどうかとは思ったが……まぁ、今は平和だしな」
 「……」
 ふぅと息を吐くとひぃなへと地祇は笑った。



 「でさ。ひぃなちゃん。誘祇の何?」
 「やっぱりぶち殺す……」




 見知った気配と共に扉が開かれる。
 「ひぃな。大丈夫かー?」
 「もう大丈夫。というか、今から帰り?」
 棕櫚はひぃなの元通りになった顔色を見るなり安心して微笑んだ。だがひぃなの声を聞いて一瞬固まった。
 「誘祇の家に行くわよ」
 ひぃなは静かに怒っていた。いつもは煩いくらいに行動に出すというのに、今回は静かに怒っていた。
 「えっと、ひぃなさん……?」
 どこかぎこちない笑みを浮かべ棕櫚は聞いた。
 「誘祇に話を聞かなきゃいけないことが出来たみたいなの」
 うわ。しっかりばれてる……?と内心びくびくする棕櫚であった。




 「誘祇――あいつは、姫巫女を娶らないと誓っているぞ。
  それでもあいつの姫巫女になりたいのか?自分の身体が持たないと知っていても」
 「それでも、私はなりたい。誘祇……寂しそうだから。
  誘祇には姫巫女が必要だよ。そりゃ、私自身の意志でもあるけれど」
 地祇は、それを聞くと微笑んだ。そして軽くひぃなを抱き寄せる。
 「そこまで言うひぃなちゃんには良いことを教えてあげよう」
 「?」
 ひぃなの耳に口を寄せて地祇は呟いた。


 「お前の崩壊しかけた身体を完全に癒して……崩壊の速度を遅くしようと苦悩しているのは誘祇だよ」

 「お前の為に、無駄に力を消費している。この世界の為ではなく、お前の為に」

 「誘祇は、ちゃんと……見ている。ただ一人の大切な娘だと慈しんでいるよ――」









 「誘祇」
 「あれ……ひぃな?」
 突然の来訪客に誘祇は不思議がる。どうしてここに来たんだい?と。しかし、ひぃなは答えない。
 「棕櫚、私は仕事で迎えに行けないとか言ったっけ?」
 「いや。これはひぃなの意志だ」
 棕櫚はそう言って頭を振った。誘祇は訳が分からないという風に眉を寄せる。
 「――誘祇」

 ひぃなに返事をしようとするが、誘祇ははっと息を呑んだ。ひぃなの中に微かな闇を視たからだ。棕櫚は静かに部屋を去っていった。部屋にはひぃなと誘祇の二人が残された。だが、ひぃなはまだ口をつぐんでいる。
 「あなたは――」
 顔を上げたかと思うと、また顔を下げて口を閉ざしてしまう。誘祇はその様子を訝しがりながらも、彼女が言い出すまで沈黙を守っている。ひぃなは何度かそのような行動を繰り返した末、勢いよく顔を上げた。
 「あなたは何故、私に此処まで手をかけるのですか?
  私には理解できません。何故……私の為に力を無駄に使用するのですか」
 「…………」
 誘祇は答えない。ひぃなは続ける。
 「今日の私を癒してくださったのはあなたでしょう?
  偽物の崩祇と会話した際に、気が付いたの。棕櫚は得意じゃないし水鶏はあそこまでの実力を出せるほど上達していなかったはず。
  そこで残ったのは偽物の崩祇。でも、彼は違った。」
 「…………」
 ひぃなは寂しそうに微笑み、誘祇に視線を戻した。
 「癒しの術を完璧に使えて、私と親しくしていてすぐに吹っ飛んでくるのはあなたしかいない」
 「――っ」
 「私は、あなたのお荷物になるために生きている訳じゃないのに……!」
 ひぃなは俯いた。誘祇は何も言わない。否、何も言えないでいる。ひぃなの言っていることは真実であり、否定できる部分はない。もちろん誘祇は一度もひぃなの事を荷物だとは思ったことなどないのだが、それを言ったところで何も変わることはないだろうからだ。
 「私は、あなたの役に立ちたいだけなの。私は……誘祇のお荷物になりたい訳じゃない。
  ずっと側にいたいだけ。私の命続く限り側に――」
 ひぃなの声が揺れている。誘祇はようやく口を開いた。彼女の中に(くすぶ)る闇を捉えた。
 「ひぃな……私が勝手に行っていることなんだ。
  そもそも、あの時に出会わなかったならば…私はこの様なことは喩えひぃなの噂を聞きつけたとしてもしなかっただろう。
  結局、私の気紛れ。ひぃなが気に病むことはない。
  ひぃなの最後を看取るまでは消えないと以前約束したのだから、守るさ――」


 ひぃなが畏れる事は、ただ一つ。
 誘祇に嫌われることでも彼の荷物になることでもない。

 誘祇が居なくなること――――

 それだけなのだ。
 ひぃなは、この神に見捨てられることよりも彼の者がこの世界より消え失せてしまうことを畏れている。
 誰よりも慕うこの神を――

 誘祇はそっとひぃなを抱き寄せる。壊れ物を扱うかの様に。そして、慈しむかのように。その行動にひぃなは少々驚くもその温もりに安堵し、体を預けた。そして二人は互いの温もりに嬉しくも悲しみを覚えるのである。
 ひぃなの思惑は誘祇を悩ませ、決意は誘祇に揺さぶりをかける。だが、決してひぃなには誘祇の思惑は伝わらない。彼が真に考え望んでいることを、伝えようとはしないのだ。
 「ひぃな。私は約束を守りたい……」
 「誘祇――」
 微かに誘祇の腕に力が込められる。ひぃなはそれに気付くも身じろぎせず、ただ顔を上げる。
 「でも、私はひぃなを出来るだけ……この世界を楽しみ、後悔の無い生を生きて欲しい。
  その為にならば、惜しみなく力を使うよ」



 だからね。ひぃなとの約束は守りたいけれど、守れない……
 守りたいと願うが、それは叶わぬ願い――
 私は……今や、消えゆく者なのだから。

第一話:姫巫女になるということ 了




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