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 彼女は私の光だ。その光で私が何度救われたことか。
 彼女は今の私にとっての全てといっても過言ではない。


 そんな彼女を護れるのなら、私はどの様な犠牲でも払おう。
 喩え、私の存在自体だったとしても。
 彼女を護るためならば、私はどの様な事でもしよう。
 喩え、過去に私が愛したひとの存在を侮辱することだったとしても。


 もはや彼女は私にとって何にも換える事のできぬ存在。
 彼女の為ならば、私はこの(いのち)をも捨てよう。


 私は彼女以外に欲しいと思える存在が居ない。
 彼女以外に美しいと思える存在も居ない。
 私はどの様な事をしても、ひぃな……あなたを護ろう。
 私にできることがあれば、何でもする。
 そうする事によって、私が全ての事象に厭われようとも。
 私の身に何が起きようとも、構わない。


 私は、この存在全てをかけて……あなたを、護る。



神祇の宴
第一紀「宴」
 第三話:狙うは姫巫女候補




 最近、学校内で不穏な噂が立っている。その所為か、不穏な空気も漂っている。
 「……」
 ひぃなの組で、一人がその噂を実証するかのように退学した。自主退学という事ではあったが、実質的には強制だったのだろう。
 他の組でも何人か自主退学した人が居る。すべて姫巫女候補だ。要するに、女だけが標的になっているともいえた。
 「ひぃな、どう思う?」
 この噂の中心に居るのは、誘祇(いざなぎ)だ。詳しく言えば、誘祇の名を騙った崩祇(ほうぎ)だ。誘祇と深く関わっているひぃな達三人が噂を無視出来る訳がない。
 「誘祇にも何か考えがあるんだとは、思う」
 ひぃなは思案顔で言った。それには水鶏(くいな)が頷いた。
 「確かに、そうだが……何かがおかしいとは思わねぇか?」
 ひぃなに質問をした棕櫚)しゅろ)が不満げに言った。この噂に納得できないことがあるとでも言いたげである。しかし、この話は一時中断となった。
 「朝の会の時間です。みなさん、席に着いて」
 いつもと違う人物の声だった。
 「あ、鞠先生」
 生徒に鞠と呼ばれたこの教師は担任ではない。予想外な人物の登場に、それまで話をしていた生徒も口をつぐんだ。
 「担任の室生(むろう)は本日、事情により休みを取りました。
  その為、私が代わりに来ました」
 担任が珍しく休んでいるという事に、教室はざわついた。鞠はその事を気にせず言葉を紡ぐ。
 「ところで、最近において姫巫女候補生が崩祇と思われるものとの契約を行い、退学となる事故が多発しております」
 ざわり。
 「姫巫女候補生は、なるべく外出時に一人で居る事を避け、安易に契約を行わない事。
  契約は人生で一度きりです。それをお忘れなく」
 教室に波紋が広がってゆく。噂はやはり事実だったのだ。どの生徒の表情も暗い。思う所があるのだろうが、そういった空気を払拭するかのような声が響いた。鞠だ。
 「さぁ、本日の日程ですが……」



 「納得いかねぇ」
 棕櫚が呟いた。
 「二回連続でだよ?
  私は納得せざろ得ないと思うけど」
 そういってひぃなはため息を吐いた。水鶏はただ笑うだけで、何も言わずに見守っている。
 「今までは、俺の方が強かったんだ。
  そう簡単にやられてたまるか!」
 ひぃなは、うんざりというかのようにもう一度ため息を吐く。
 「もう一回、やろうぜ」
 ひぃなは竹刀を、棕櫚は槍を持って向かい合わせに立っている。水鶏はそこから少し離れた場所で座っている。ひぃなは棕櫚を止めるのを諦めたようで、目を閉じて竹刀を構えなおした。
 この科目は格闘技である。それぞれ異なる得物を持ち、戦闘の訓練をする。あらゆる武器を用い、武器であればどの様な物でも構わないこの科目は、生徒の中には飛び道具を使用する者もいる。離れて行うとはいえ、思わぬ事故が発生する可能性がある。そういった事を防ぐ為に基本的には審判兼、結界を張る人を含めた三人一組に分かれて、この授業を行う。
 この授業の性質上、運動不足気味になっている一部の生徒にとっては地獄の様な科目といえる。しかしその一方で、個人的事情により戦い慣れているごく一部の生徒にとって、己の力を確認するのに丁度良い機会にもなる科目であった。
 「はぁぁっ!」
 「ふんっ」
 ひぃなは身体の柔らかさと、独特な剣術の型を最大限に利用した動きをする。棕櫚は力の流れを狂わせ、間合いの長さを利用した攻撃を得意とする。この二人の戦いは、傍目からはひぃなが一方的に攻め、棕櫚が守りに撤している様に見える。
 「ちっ」
 棕櫚が舌打ちをした。また、微妙な所でひぃなに躱されたのだ。
 水鶏はこの攻防戦をにこにことしながら見守っている。水鶏は二人がこうして試合をしている様子を見るのが好きだった。しかし水鶏がこういったものが不得意で、自らでは二人と試合ができないといった理由からではない。水鶏は武術が劣っている訳ではなく、武術に優れているからこそ二人の攻防を楽しんでいるのだ。
 また、水鶏は薙刀を得意としており、薙刀同士の試合ともなればひぃなと棕櫚の二人でさえ勝つ事はできない。しかし、自分がひぃなや棕櫚と戦うよりも、二人の戦いを見る方が面白い。そう考えているのであった。
 二人は水鶏が思いもつかない様な動きをする。思いがけない動きをする者同士が戦うのは、先が上手く読めない。そこを水鶏は楽しんでいるのだ。
 そしてまた、ひぃなが不可思議な動きをした。
 「っ!」
 棕櫚が息をひゅっと吸い込んだ。ひぃなは棕櫚の一撃を避ける様な仕草をしたが、それは反撃の為の予備動作であったようだ。
 ひぃなは一瞬の間に棕櫚の隣まで移動し、竹刀を振り上げて槍に一撃を加えた。
 「なっ!?」
 思わぬ方向からの力に、棕櫚の手から槍が離れていく。しかし、棕櫚は武器を手放しただけで負けを認めるような人間ではなかった。直ぐに棕櫚は素手で戦えるように体勢を立て直し、ひぃなが再び棕櫚の方へと振り返るわずかな時間で間合いを開けていた。
 「今ので諦めてくれれば楽だったのに」
 ひぃなは挑発するかのように言い放つが、棕櫚も負けじと言い返した。
 「はっ!
  素手の方が身軽で動きやすいんだ。
  お前、莫迦な事をしたな」
 余裕ありげなその表情を見て、水鶏は心の中で拍手した。二人のやりとりは面白い。そろそろだ。水鶏は思った。
 「そんな事を言えるのも今の内よ」
 ひぃなの目が細くなった。口だけは笑っている。それは棕櫚も同じであった。あと少し。あと少しでこの試合の決着が付く。
 決め手はどの様なものになるのだろうか?棕櫚の言った通り、彼の素早さが決め手になるか。それとも技術的な問題でひぃなが一歩上を行くのだろうか。あぁ、もうすぐそれが分かる。きっと、決着は水鶏の想像もつかないものとなる。それを思うだけで水鶏の心臓は高鳴った。
 現在戦いに身を投じているひぃなと棕櫚は勿論、水鶏でさえこの試合の面白さに重要な事をすっかり忘れてしまっていた。勿論、重要な事とは誘祇の偽物の噂と鞠が話していた崩祇らしき者の事である。
 「はぁぁぁぁぁぁっ!」
 ひぃなが棕櫚との距離を縮めていく。棕櫚はそれには動じず、ひぃなをじっと見つめていた。水鶏の頬は興奮のあまり薔薇のように紅く染まっている。恐らく、この試合が終わり三人がそれぞれ冷静になったとしても、思い出す事も考える事もないだろう。
 三人とも、頭の中はこの試合の決着でいっぱいになってしまった。綺麗にこれらの事を忘れてしまった。しかし、本当は忘れてはいけなかった。少し考えれば、噂と鞠の話から自分たちも標的になる可能性があるという事に気付くはずだったのだから。



 微かな気配に地祇は顔を上げた。空間に小さな歪みが生じ、一人の神祇が顕れる。
 「地祇、何かが変だと思わない?」
 顕れたのは導祇だった。地祇は静かに座ったまま動かない。その様子に導祇はため息をつき、彼の隣に座った。
 「君が居るこの校舎の結界、消さない様に気をつけてね。」
  結界の外は……」
 導祇の言葉を引き継ぐかのように地祇が呟いた。
 「あぁ、奴が居る。
  ここの幼子達が数人、既に餌食となった。
  俺はせいぜいこの結界に幼子らが入っている間だけしか守ってやれん」
 そう呟く地祇の表情は、暗かった。導祇の顔も歪む。
 「僕、この状況をどうにかしたい。
  奴は誘祇上(いざなぎのかみ)の名を騙って子供達を……!」
 導祇が続きを言う事は無かったが、地祇には十分過ぎるほどに伝わっていた。
 「誘祇の奴はこの事を知っているのか?
  あいつが何も手を打たないわけが無い」
 地祇が何度となく不安に思っていたことを口に出す。導祇はその発言にはっと顔を上げた。
 そして神妙な顔付きになり、呟いた。辺りの音は幼子達の楽しそうな雄叫びと、武器のぶつかり合う音だけだった。
 「まさか、彼はまだ何も知らないんじゃ……」
 「まずいな。
  このままだと、お嬢ちゃんも巻き込まれかねん。
  偽者だと判る人間と鉢合わせしたら普通、どうするよ?」
 地祇の質問に導祇は即答した。
 「口封じするか、どうしようもない状況に追い込んで……かな」
 時たま、ひぃならしき声や棕櫚らしき叫び声が聞こえてくる。楽しそうだ。この瞬間が長く続けば良い、そう地祇が思ってしまうほどである。
 「あの三人だけは、贔屓なのは解っているが……無事で居てほしい」
 ぼそりと彼女らの声が聞こえてくる方を見つめ、哀しそうに呟く。そして突然導祇が立ち上がったかと思うと、本来の姿に戻った。地祇にすら、あまり見せない女性の姿である。そこから彼女がどれほどに真剣であるかが分かるようであった。
 「もしかしたら嘘祇(こぎ)が必要になるかもしれない。
  嘘祇と話をつけて、今日中に誘祇へ文書を送るよ」
 緊急の赤帯を付けてね、と言う導祇の表情はまだ硬く、暗いものだった。そんな導祇を労るかのように地祇は彼女の頭を撫でる。彼女は少し嬉しそうに目を細め微笑んだが、次の瞬間には消えてしまった。嘘祇の居る所へ移動したのだろう。地祇は、青く広がる空へと顔を向けた。全ての事象を吸い込んでしまいそうなほど、澄んだ空へ。
 「手遅れにならぬ様、俺に祈らせてくれ」
 彼の呟きは虚空へと飛び去った。空はこの祈りを受け取ってくれるだろうか。彼は更に祈った。
 出来る限りの、我が祝福を三人に……――



 「くっそぉぉぉぉ!」
 にんまりとしたひぃなと悔しそうに叫ぶ棕櫚の姿があった。どうやらひぃなが勝ったようだ。
 「お疲れ様、二人とも」
 水鶏が二人へ労いの言葉をかけるが、二人は聞いていなかった。既に先程までの勝負について二人は揉め始めていたのだ。その様子を見て水鶏は苦笑した。
 「何でお前が勝つんだ!?
  というか、あれは反則だと思うぞ!」
 「そんなの……負け犬の遠吠えと言うのよ!」
 二人の口論は尽きる事を知らぬようである。




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