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校舎から続々と生徒が現れた。全ての授業が終わったのだ。彼等を見ていると由緒ある学校な事だけあり、いずれ優れた姫巫女や神凪になるであろうと思われる者が多い。そういう者は力が美味しそうに見えるものだ。美味しそうな力を持った人間が大勢居るこの学校は、我らのご馳走の宝庫であると同時に脅威でもある。
残念なことであるが、このご馳走達は我らの様な存在を嫌っており、力のある我らが敵の神祇と共に我らを倒しに来るからだ。
しかし、毒を持った食えぬものとなる前に食せば良い。さすれば我が敵に更なる力がつくのも避けられる。そして何よりもこの学校に誘祇の執心な乙女が居るらしい。これは一石二鳥も三鳥になってお得である。
彼は誘祇に負けず劣らず、美しく澄んだ白銀の長髪を風になびかせて微笑んだ。彼はまだ崩祇(ではない。崩祇の中には力に魅入られ堕落した神祇も居るが、大抵は下級精霊の成れの果てだ。神祇の場合は力の欲求に負け、自我が徐々に失われていく者が多い。そういった中で自我を保っていられる崩祇は、余程精神の強い者だけということになる。とはいえ自我を保っていられても、姿だけは誰にも保つことは出来ないとされているが、事実であった。
どうしてか崩祇になった者は神祇として世界の一員であった時の姿から一転し、異形の者の姿となってしまうのだ。そういったものもあり、自らの姿を保てぬことが神祇の中では一番恐ろしい事であるとされている。
彼の場合崩祇と言うには、誘祇の名を騙っても説得力のある見目麗しさであった。そう、この男が誘祇の名を騙った偽者だったのだ。崩祇のようで、崩祇でない存在。そんな彼は今日の標的を誰にするか品定めをしていた。
選定は慎重に選ばなければならない。今後の見込みがない候補や、既に誰かの姫巫女にでもなっている女を襲った所で、全くの無意味であるからだ。後者に関しては運に任せてしまうしかないという部分もあるが、前者であればある程度観察すれば分かる事だ。しかしながら見た目だけでは選べないということもあり、意外に時間を必要とする作業だった。
彼は落ち着いて考える。あの少女はどうだろうか?いや、向こうの少女にしよう。あの少女の器は小さいし、力を今後つけそうにもない。それよりも向こうにいる髪の長い少女の方がいいだろう。しかし正直言ってあの少女が持つ力の強さには心引かれるが、力をいくら持っていたとしても制御できないような者では立派な姫巫女にはなれない。それを考えると、今後成長したところで我の敵にもならぬだろう。ならば、その隣にいる少女とかはどうか。
そうだ。力だけの少女よりも奥ゆかしそうで、可愛いらしい彼女にしよう。あの子ならば、力もかなりありきちんと制御も出来ている。後は契約をしてさえいなければ嬉しいのだが。今のところはそれらしき気配もない。上出来だ。
「そうと決まれば、善は急げ。だ」
彼は怪しげな笑みを浮かべて姿を消した。決して彼は飢えているわけでは無い。力など、有り余るほど残っている。しかし彼には目的があった。
力ある姫巫女の卵を潰していき、神祇の全体的な力を削ぐ。そして自分が主の地位につく。全ての一番になりたいこの男は、この世界の基盤となっている神祇が邪魔だった。
この勝負は既に始まっている。その場所とされた学校は碁盤、そこの生徒は碁石のようだ。勿論敵将は誘祇である。あの神がどのような手を打とうとも、彼は動じずにいることだろう。寧ろ、楽しんで立ち向かっていくだろう。
それにこの勝負は途中まででも良いのだ。誘祇のお気に入りさえ、契約出来ないようにすれば。その時点で彼が勝ったも同然だ。
誘祇がこのまま姫巫女を迎えなければ、いずれ何もせずとも彼は消滅する。慌てて力のために姫巫女を迎えようとしたところで、力のある姫巫女は殆ど食べられた後。力を持った姫巫女を迎えることが出来ない。力のない神祇など、この男の敵ではない。
そう、彼の姫巫女になれる人物さえ居なければ……――
「じゃ、またな」
「またね、水鶏(」
「またね、二人とも。
二人きりになった途端喧嘩なんか始めないでね?」
三人がそれぞれに言葉を交わし、水鶏を残して二人は去っていった。誘祇は、今日も迎えにこれないらしい。恐らくは最近この近辺に現われているらしい崩祇の対応をしているのだろう。途中まで一緒に帰っていた水鶏は、二人と別れるとゆっくりと屋敷とは反対方向へ歩いていく。しかし屋敷からは大して遠くない場所で立ち止まった。彼女の目の前には一本の巨木が立っている。その木の枝には一枚も葉が付いていなかった。
水鶏は両手をその巨木へあて、上を見上げた。冷たく乾いた風が彼女と巨木の間を駆け抜けていった。一瞬、水鶏は肩をすぼめて寒そうにした。
冷たい風が止むと水鶏は木に向かって優しく語りかけた。
「そろそろ、雪が降り始める季節になるね」
彼女の声が届いたのか、木が風もないのに静かに揺れた。その動きを見た水鶏は小さく微笑んだ。
「寒そうだね。今日は少し目を覚ましてくれたの?
無理させちゃってごめんね」
彼女は額をその木へとあて、目を閉じた。奇妙な空気がこの木を中心として周りを包み込んでいる。しばらくすると、水鶏はその木から離れた。不思議に彼女が木から離れると奇妙な空気も消えていった。
「どんどん寒くなってくるけど、これが終わったら春が来るよ。後もう少し我慢してね」
水鶏はまた来ると言って、もと来た道を引き返し始めた。
誘祇が静かに作業をしている部屋の襖が開いた。その音に気が付きながらも誘祇は作業を続けている。部屋へ無断で入ってきたのは誘祇の姉、草薙祇(であった。手には巻物を持っている。彼女は誘祇の少し後ろへと膝をついた。
「誘祇、この巻物を。
緊急の赤帯が付いているわ。導祇から、となってる」
す……と、その赤帯が付いた巻物を前へと出した。誘祇は返事をせずに振り返り、その巻物を手に取った。するすると巻物を開いてゆく。
「……これは」
そう呟いた誘祇は眉間にしわを寄せる。その巻物を見る目つきは険しい。どの様な内容であるか気になった草薙祇は膝立ちになり、巻物を彼の後ろから覗き込んだ。読み進めていく内に、草薙祇の表情が翳っていく。
「早急に対処しないと大変なことになるわね。
もう既に大事になり始めているもの」
ため息混じりにそう言うと、草薙祇は静かに立ち上がった。
「気が付けなかった私達にも問題がある。
今日からでも出来る事をしなけねば」
草薙祇に対してそう言った誘祇の表情は硬い。何かを考え込んでいるようだった。きっとあのお気に入りの少女の事でも考えているのだろう。彼女もこの学校にいる上に、噂の根元でもあるのだから。
草薙祇は小さく頭を振る。自分の頭によぎった厭なイメージを払拭するかのようであった。彼女は開け放ったままになっていた襖の方へと歩き始めた。その襖の向こうにはいつから居たのか、静かに佇む九幻の姿があった。
誘祇の視線が九幻の方へ動くと、それに気が付いた九幻がすぐさま軽く頭を下げた。襖に手をかけた草薙祇が誘祇へ許可を求めるかのように言った。
「私と九幻とで見回りをしてくる」
彼女はそのまま九幻と立ち去ろうとした。しかしその二人を誘祇が止めた。
「姉上、今日は待って」
誘祇の意外な言葉に思わず草薙祇はむっとした表情になる。
「何故。今日から見回りを私達が行えば、防げるかも――」
反論する姉に向かって誘祇は淡々と言った。その顔には何の感情も読みとることは出来ない。寧ろ、その表情は冷たくも感じる。
「明日からにしてくれ。
今夜、嘘祇(を呼んで……身代わりをさせる」
その言葉を聞いた草薙祇と九幻の表情が凍り付いた。誘祇が何をしようとしているのかに気が付いてしまったのだ。
「何も、そんなことまでしなくたって」
「無差別にこんなことされて、私の姫巫女候補が目当てだとは断言できないけれど……
その芽は摘んでおかなくては」
草薙祇の言葉の途中から被せるかのように誘祇が言った。今まで口を噤んでいた九幻がとうとう口を開いた。
「あなたがそれで苦しみ、その結果に何がもたらされるのです?」
誘祇は少し拍を置いて言った。その言葉には一種の決意すら見えるようだった。
「……この世界が、暫し安らかとなる。
それに、ひぃなの危険も減る」
言葉だけではなく、彼の瞳にも決意の色を見て取った九幻は力無く呟いた。
「本当に、あなたはそれで良いのか……」
「分かった。見回りは明日からにするわ。
あなたも……あまり無理しないのよ」
草薙祇の方はどこか諦めているかのように静かに言い、九幻を連れて引き返した。閉じられた襖を、誘祇はしばらく見つめていた。彼の頭の中で九幻の言葉が木霊し、響いている。不意に、彼は目を閉じて自分へ言い聞かせるかのように呟き始めた。
「そう、これで良い。
彼女に厭われようと、私は彼女が幸せであれば良いのだ」
その先に自分の破滅が待っていようとも、それはそれで構わない。結局の所ひぃなの幸福の中には自分は居ないのだ、と誘祇は自虐的な笑みを浮かべたのだった。
水鶏の周りが静かだった。いつもは精霊達が声をかけて来るというのに、全くその様子がない。この辺りに居る全ての精霊が眠ってしまっているかのようだ。そんな中、彼女に声を掛ける者が居た。
「こんばんは、お嬢さん」
「え?」
突然声を掛けられた所為か、はたまた彼の容姿に驚いたのか。水鶏は声を裏返すほど驚いていた。暗くなり始めているにもかかわらず輝いて見えるほどの美しい神祇が一人、立っていたのだ。彼の方の如き美しさは、実際に誘祇を見たことがない人には刺激が強すぎるほどである。事実、水鶏は一瞬驚いている。まあ、その次の瞬間に彼女の頭の中は理屈でいっぱいになっていたのだが。
美しいし、高等な神祇に見える。でも……この姿は、誘祇だと偽っても当人を知らぬ人には罷り通ってしまいそうなほど。勘違いしてしまう人も居たのではないだろうか。そんな事は普通しないって分かっているのに何でこの考えが浮かんだんだろう?あれ……勘違いって。あっ。
一瞬の内に、水鶏の頭の中に忘れていた事柄が甦ってきた。見目麗しい神祇は再び口を開いた。
「余は幸せ者である。
偶々この黄昏時に散歩をしていたら、あなたのような候補生と出会えたのだから。
あぁ、余が誰であるか分かるかい?」
確かに、一般人の誘祇の認識はこんな感じかもしれない。と水鶏は思った。しかし水鶏は本人と面識がある。この神祇が全くの別人ということは分かっている。では、この神祇は誰か。
「少なくとも、誘祇上(ではないことは分かっています。
最近この近辺で誘祇上の名を騙って私達候補生を襲っている奴でしょうか?
私が知っている神祇ではないことは確かですね」
水鶏は少しずつ後ずさりながら答えた。この神祇は危険だ。しまった!家の近くだからとはいえ、気を抜いてしまうなんて。
「ほう……あなたは誘祇上と面識があると」
彼ではないと、言わなければ良かったなどと思ったところで今更であった。神祇は目を細めた。明らかに何かを企んでいる。水鶏はその様子を見て更なる不安に見舞われた。怖い。
「あなたは、誘祇が姫巫女候補か?」
ゆっくりと優しく言うこの神祇が怖い。水鶏は再び後ずさり始めながら答えた。
「違うわ、私じゃない。
そもそも、誘祇上にそのような話があったこと自体知らないの」
確かに誘祇が庇護している者は知っているが、彼は彼女を自分の姫巫女にはしないといつも言っていた。
水鶏の冷静な態度は変らない。しかし、心の中では不安と恐怖の嵐の真っ只中であった。
「そうか。しかし、余の顔を見てしまった。
残念ではあるが、口封じをせねばならぬ」
神祇も一歩一歩、水鶏の方へと近付いていく。その内、彼の結界の端まで水鶏が到達してしまった。水鶏の体は壁のように堅い結界にぶつかった。痛みはなかった。しかし、逃げ場がなくなった。
「あ……」
水鶏の頬へ神祇が手で触れた。壊れ物に触れているかのような丁寧で優しい触れ方であった。その様に触れられても、水鶏の心が穏やかになることはない。水鶏は動けなかった。術を行使されているわけではないというにも関わらず。
神祇の顔が水鶏へと近付く。彼の唇は彼女の耳元、二人の頬は互いに触れそうなほど近くにある。水鶏は緊張していた。恐怖もあるが、異性という存在にここまで接近されたことがなかったのだ。
「余の名を、告げよう。
あなたが私の眷属となる契約に対する礼だ」
耳元で囁かれ、吐息が耳にかかった水鶏はぴくりと体を震わせた。彼の左手が水鶏の着物の衿を撫でている。思わず腰が逃げそうになったが、結界に阻まれている上に神祇が右手で封じてしまった。
「逃げられないよ、お嬢さん」
そう言うと、神祇は水鶏の頬へ口づけた。神祇の瞳と水鶏の瞳が合わさり、視線が交叉する。神祇の瞳は、何故か優しく感じた。どこか安心できそうで安心できない、この不安定さに水鶏は戸惑う。
「……っ!」
先ほどまで衿を撫でつけていた左手が着物の中へと入っていく。襦袢越しに肌をまさぐっている。水鶏は更に緊張し、小さく刻むように震えた。しかし、その触り方に下心はなさそうであった。そしてその左手が心臓の上を探し出すと、再び水鶏に顔を近づけた。今度は見つめ合う形である。
「あなたの心へと刻み込むと良い。
余の名は――」
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