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放課後に下校していく候補達がまばらになってきた頃、少し長身の姫巫女候補が校舎から出てきた。長い黒髪を器用に結い上げており、その表情は少し冷たい。先日の力だけある少女と水鶏が後ろからその少女に向けて一言二言、軽く声をかけて追い抜いていった。少女の表情が一瞬柔らかいものに変わる。
「はて、あんな女子(がおったか?」
麗祇はおや、と首を傾げた。水鶏は誘祇(の事を見知った人間だった。彼女の周りに誘祇の気にかける少女が居るかもしれない。水鶏に目をつけていれば、いずれその少女に繋がるだろう。麗祇は暗い笑みを浮かべた。
「今まで見かけなかった、という事は……」
本命か?あれが。
「狙ってみる価値は、ある」
黒髪の少女が校門を出た。すたすたと足早に歩いていく。麗祇は気配を絶ち、ゆっくりと後を追った。
棕櫚(はひたすら歩いている。しかし彼は目的地まで真っ直ぐ行くつもりはなく、かなりの回り道をしていた。ひぃなと水鶏が先に目的地へ着いている必要性があるからであった。暫く歩くと、棕櫚は店に入った。そしてその店で二、三買い物をし、今度は目的地に向かって歩き出した。
夕暮れ時が迫りつつあるせいか、やや肌寒い風が吹いている。長い黒髪がさらさらと揺れる。公共の庭園が彼の目の前に現れた。ひぃなが指定した目的地だ。人の気配はない。彼女達は無事に結界を張って隠れることができているようだった。
棕櫚は四方に目を向け、目に留まった長椅子に向かってそのまま静かに座る。先程店で買った飲み物を取り出して飲み始めた。気を配ることはやめ、くつろぎ始めた。
「はぁ」
棕櫚は上方へ顔を向け、目を閉じた。音の無い世界が彼を包み込む。周りの気配が一斉に消える。来た。そう感じたとき――
「美しい女子が、このような所で何を思う?」
「っ!」
棕櫚は突如背後から聞こえてきた声に息を詰まらせた。その様子に背後に顕現した者はくすくすと笑い出した。それは決して嫌な笑い方ではなく、自然な笑い方であった。
「冷静で冷たい印象に思えたが、思ったよりも可愛らしい方だったとは……
驚かせたようで、失礼しましたね」
棕櫚が振り向くまでもなく、目の前へと彼は改めて顕現した。美しい白銀の髪を持った男性型の神祇であった。
「あなたは、何者です?」
棕櫚は言葉遣いに気を付けながら、誘祇の偽者と思われるこの神祇への対応を考えていた。その一方、結界の中で息を潜めて隠れているひぃなと水鶏の二人は様子を伺っていた。
「さて、余は何者でしょうか?」
にこやかに聞き返す神祇に棕櫚は心の中で悪態を吐いた。もちろん表情には出さない。
「判らないから聞いているのですが」
「やはり冷たい印象はその通りだったわけですか。
まぁそれはそれで……可愛らしいから良しとしましょう」
会話を聞いているひぃな達は忍び笑いをした。棕櫚が可愛らしいという発想が可笑しいからであったが。一瞬彼女らは顔を強張らせて二人の方を見たが、結界の力が労したからかまだ気づかれるところまではいっていないようだった。
「私はあまり冗談が好きではないのです。
お願いですから、教えていただけませんか?
麗祇殿」
棕櫚が彼の名前を呼んだ途端、神祇の雰囲気が一瞬凍りついた。しかしそれもつかの間で、元の雰囲気へと戻った。
「余の名を知っていて、この様な行動をしたというのか。
面白い、名は何と言う?」
「棕櫚と言う。
お前は一体何者だ?神祇と崩祇の狭間の者よ」
麗祇はくすくすと笑いながら、棕櫚の黒髪へと手を伸ばす。一房の黒髪を掴むと弄び始めた。
「棕櫚、あなたは少しお馬鹿さんのようだね。
余は麗祇。それ以上でも、それ以下でもないのだよ……」
その言葉に棕櫚は反論をしなかった。ひぃな達は静かに見守っている。冷たい風が吹き始めた。日が傾き始め、黄昏時がやってきたのだ。そろそろ灯りを点けに見回りの神祇とその番(がやってくるはずである。しかしその様子はない。やはり水鶏の時のように結界を張っているのであろう。
「そうだねぇ。棕櫚、こうなったからには余がしなければならない事は分かっているよね?」
静かな微笑を湛えたまま、黒髪から手を離した。棕櫚はその一連の動作を鬱陶しそうに見やる。
「そうだな……口封じ、か」
「ご名答」
空気が動いた。棕櫚は動かない。麗祇の唇が、棕櫚のそれと重なる。思いがけない事に見守っていた二人は息を呑んだ。麗祇は不思議そうに棕櫚を見た。本当ならば、これで魅了の術がかかったはずなのだ。棕櫚は平然としたままで、その瞳には正常の精神を宿していた。
「お前がそういった術を使うのを知っていた。
だから防いだまでの事」
それに、神祇は女性に対する魅了の術を用いていた。厳密に言えば女の姿をしているだけの、普通の男である棕櫚に効くわけがない。まだ棕櫚の事を女だと思っているのだ。この神祇は。
「では、力尽くでいくしかない訳か。
痛かったらごめんよ?」
でも……それは棕櫚がいけないんだ。そんな小細工をするから。と、麗祇はにたりと笑った。棕櫚は機会が来た、と思った。だがしかし、棕櫚は良くても他の人間が機会だと思うとは限らなかった。
「待ちなさい。
誘祇の名を騙る神祇よ」
ひぃなが結界から出てきたのだ。突然の介入者に麗祇は驚くも、表情を崩す事はなかった。棕櫚は心の中で何で出てきたんだと毒づいた。
「おや、力だけある候補生か。
どうしたのだ?余の結界を悟られずに通るとは」
麗祇はひぃなが今辿り着いたと勘違いしているようだ。ひぃなはすぐに否定した。
「いいえ、私はずっとここにいたわ。最初からね。
棕櫚に道案内を頼んだのよ。
よくも私の友人を傷つけてくれたわね?」
麗祇はひぃなが神凪候補生用の着物を身に纏っているのに気が付いた。校舎から出てくる時には気が付かなかった。そして一つの可能性に辿り着く。
「棕櫚、あなたが女装癖のある人間だったとは……」
「違ぇ……っ!」
冗談だよ、と麗祇はからからと笑った。棕櫚はその発言に青筋を立てている。よほど堪えたようだ。
「余は、まんまとおびき出されたというわけか。
中々やるねぇ、二人とも。褒めてあげよう。
しかしどうやって余の事を?」
麗祇の疑問はもっともだった。麗祇と二人は初対面のはずだ。なのに一発でこうして引っかけてくるとはどういう事だろうか。
「水鶏、おいで……」
そうひぃなが言うと、ひぃなが現れた方向に突然水鶏が現れた。結界を解いたのだ。
「おや、これはこれは……
そうか、さっきの台詞は結界を破ったのではなく始めから居たという事か」
水鶏は麗祇をおずおずと見る。その瞳には小さな恐怖が映っている。直接見られているというのが、今の恐怖の原因であろう。ひぃなは水鶏と麗祇のちょうど間になるように立っていた。
「で、こういった事を続ける理由は何だ」
「誘祇への宣戦布告さ」
麗祇はおもしろがっている。ひぃなを小馬鹿にするかのような調子だった。ひぃなはそれには応じなかったが明らかに怒っていた。
「では、何の為に宣戦布告を?」
「それは……秘密だよ。お姫様」
ひぃなの声色は落ち着いていた。だが、それが彼女の怒り方だと棕櫚は知っている。彼女は激しく怒る時もあるが、心底怒っている時は静かに怒る。そして妙に冷静なのだ。今回もそれにあたる怒り方であった。
「そうか。最後の質問だ、麗祇。
どうしてその姿を保てる?」
「余が……自我を保っているからじゃないかな。
余ですらわからぬのだ、それだけはね」
麗祇はゆっくりとかぶりを振って答えた。棕櫚と水鶏は見守りに徹している。下手に動いても意味がないように思えた。それに、ひぃなが何を考えているかが分からない。
ふと、ひぃなが動いた。その手には一枚の符が収められており、その符には何も書かれていない。棕櫚に厭な予感が走った。
「麗祇、多数の姫巫女候補を辱めた罪は重い。
今は動けぬ誘祇に変わって私が――」
「断罪する、か?
おもしろい。やってみよ!」
ひぃなが棕櫚の予想通りの行動に出た。自らの血で術式を書く。そして例の力の言葉を発した。
「我が願い、我が力、この刃とならんことを」
地祇の時同様、光る刀が生まれた。ひぃなの額に汗が一粒浮き出した。麗祇は、面白くなさそうな顔をした。
「その年でそれを扱うか。
愚かな事を。負担が大きいだろうに」
そう言いつつも構える。口元には余裕があり、いつでもかかってこいと言っているかのようであった。
「気にしなくて良いわ、そんな事……っ」
言い終える前にひぃなが斬りかかった。麗祇は自らの衣で手を守りつつその刃を腕で受けた。だが、刀は何も切り裂く事はなく、その様子にひぃなは少し表情を変化させた。しかし力を緩めずにいる。そんな時、新たな来訪者が現れた。
「ひぃな、それくらいにしなさい。
彼は……私たちに任せて」
ひぃなはその声を聞くと小さく息を吐いて刀を消した。水鶏は麗祇に釘付けになっている。棕櫚は「私たち」という言葉に反応して振り返った。そこには女性の肩を抱いて立っている誘祇の姿があった。誘祇は女性をおいてこちらに歩み寄り、ひぃなを自分の方へ抱き寄せた。ひぃなはその様子に少し安心するもいつもとどこか違う誘祇に疑問を覚えた。
「……あなた、本当に誘祇?」
「本物だよ、ひぃな。
彼の結界をたやすく、しかも彼に気付かれずに越えてきただろう?」
それでも訝しむひぃなに、そう感じさせる心当たりがある誘祇は苦笑するしかなかった。誘祇が現れた事で麗祇の不利は明らかになった。しかし麗祇の表情は変わらない。
「誘祇、久しぶりだねぇ。
この娘が君の姫巫女候補かい?」
「いいや、違う。私の姫巫女は以前から変わっていない」
そう言って誘祇は後ろの女性を示した。その女性の姿を確認した麗祇はここにきて初めて表情を変えた。
「御月(っ!?
莫迦な……あの姫巫女は死んだと聞いた」
「単に隠しているだけだったとしたら?」
麗祇とやりとりする誘祇がひぃなには別人であるかの様に思えた。
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