lll back lll top lll novel top lll next lll




 「お久しぶりね?麗祇」
 麗祇はひどく狼狽えた。そんな莫迦な。姿も、声もあの時のままだ。どうして生きている?既に姿を見なくなってからもう何百年も経っている。
 「何故……今になって現した」
 「僕の愛し子が狙われているからね。
  背に腹はかえられない。この子は体が弱いんだよ。
  これ以上苦しめたら、死んでしまう」
 誘祇(いざなぎ)は目を細めた。彼の狼狽ぶりを楽しんでいるかのようだ。ひぃなは自分の事を【愛し子】と表したことに、小さく溜め息を吐いた。一番近くにいる誘祇は気が付かない。やはり、別人みたいだ。
 「人の命に代えられるものはない。神と姫巫女は人間を護る為に居るんだから」
 御月の姿を取っている嘘祇(こぎ)は心の中で感嘆した。彼は覚悟を決めている。これ程までに純粋な想いに出会った事がない。嘘祇はちらりとひぃなを見やった。ひぃなは自分が偽物の姫巫女であることに薄々気が付いている。この場だけでも御月として役目を果たさなければ、再びひぃなが狙われる。嘘祇は御月(みつき)として一歩踏み出した。
 「私が、これからの相手になるわ。
  麗祇……覚悟は良いかしら?」
 そう言いながら、御月は周りを見渡す。後方に居る候補生達が巻き込まれないか、確認をした。そういえば、いつの間にか誘祇が灯りを点けたらしい。周りは闇に包まれているが、周りを見ることが可能であった。視界が悪いのは仕方がないことではあったが、この灯りがあるだけで十分だ。どうせ、神祇である自分には視界などあまり関係がないのだから。
 「これで、私が偽物かどうか……分かってもらえるでしょうしね」
 「姫巫女ごときに、余が負けると?」
 麗祇が挑発するように言い放つ。姫巫女に扮する嘘祇には全く効かない。
 「ただの姫巫女じゃないわ。
  この世界の、創造主である神が後継。現最高神の誘祇の姫巫女よ」
 麗祇は、その言葉にぴくりと反応した。ひぃなの方は小さく、だが深く息を吐いた。水鶏(くいな)棕櫚(くいな)の二人は静かに見守っている。
 「やれるものならばね」
 麗祇の言葉を合図に二人が動いた。誘祇は手を出すつもりがないようだ。
 「……我が力、刃となれ」
 早口で呟くと、姫巫女の手に刀が現れる。ひぃなの刀とは異なり、鈍色をしていた。
 「はぁっ…!」

 御月の太刀筋を見た麗祇の反応が変わった。以前見た時よりも格段と早くなっていたのだ。麗祇は仕方なく、自らも刀を創り出した。こちらの刀は白い。ひぃなや棕櫚はその太刀筋を追うだけで精一杯である。水鶏は、棕櫚の袖を握りしめていた。
 誘祇は二人の攻防を見守っているように見えていたが、その瞳にはひぃなの姿が映っていた。二人の事よりも、やはりひぃなの方が大切なのだ。誘祇は緊張した趣で攻防を見ているひぃなを見ながら、自分の全てを費やしても良い。そう、思いを新たにした。
 御月と麗祇の力は同等であるように見えた。しかし御月の方が上手であった。見た目は御月であっても中身は嘘祇だ。嘘祇は策略・謀略等にも長けている。その能力を生かして麗祇を巧く捌いていた。
 牽制・見せかけ等に惑わされている麗祇は、技術の面では同等であってもかなり不利であるといえる。
 「はったり等しか使えぬのか!」
 「使わなくても、平気だけど……その方が相手は混乱するでしょ?」
 誘祇はこの会話を聞いてくすりと笑った。側にいるひぃなは戸惑いを隠せない。自分の(つがい)が戦いの真っ最中であるのに、どうしてここまで余裕でいられるのだろうか?
 「そんなに早くこの世界から消えゆきたいと言うのなら、そうしてあげましょう」
 ざわり。全員の背筋を凍えた空気が通っていった。麗祇の動きが一瞬止まる。
 「我が力、我が願い、我が望みを聞けよ。
  我は神祇が姫巫女なり。
  かの片翼が力、我に宿りて力と成さん!」
 麗祇の動きが止まる一瞬の隙を見て、御月は言葉を発した。それは棕櫚には使い慣れた、しかしひぃなと水鶏にはあまり聞き慣れない言葉であった。この言葉は、姫巫女や神凪がよく利用する片翼の力を引き出すために必要なものだ。姫巫女や神凪にならない限り使う事はない。
 御月の髪色が白銀の半透明な美しい色へと変化した。誘祇の力を得たのだ。
 「さぁ……これで終わりよ」
 麗祇と対峙している御月の刀から雷が迸る。その雷はまっすぐ麗祇へと伸びていく。麗祇はその場に縛られてしまったかのように、動かなかった。誘祇は何もしていない。ただ、のほほんと眺めているだけだった。
 「く……がぁぁっ」
 どうやら麗祇は動かなかったのではなく、動けなかったようだ。彼の動きを妨げる術が密かに働いていたのだろう。その術と彼の力が、彼の周りで爆ぜていた。
 「苦戦しているようだけど、それはあなた自身の力で成り立っている術よ。
  だからあなたが消滅するまで解く事はできない」
 「ぐがぁ……
  本……も、の……な……のか……っ!!」
 麗祇は力の放出によって、力を失いつつあるようだ。爆ぜている力が逆に麗祇へ襲い掛かっている。その上に誘祇の力を得て、より強力になっている御月の力が加わる。
 鈍色の雷が一層強く輝いた。
 「ロイ……テ、ルン……グ」
 ひぃなたちに聞き慣れない言葉を御月が発した。棕櫚にもわからない。どこか、この国の言葉ではなく異国の言葉のようである。とはいっても、異国は一つしかないのだが。
 「ぐぅあぁぁあぁ……」
 麗祇は苦しそうな声を上げ続けている。もはや術を破ろうとすらできていない。浄化されるのも時間の問題のようだった。
 「……」
 暫くすると、そのうめき声すら上がらなくなった。ふとひぃなが目をこらしてみると、麗祇の姿に変化が現れる。彼の美しく長い髪がさらさらと空気へ溶けていったのだ。砂の城が崩れる瞬間のようであった。突然麗祇の姿が崩れ去った。本当に一瞬のうちである。麗祇の居た足元に彼の欠片が小山になっていたが、瞬時に燃えて消えていく。そうして、彼を思わせる物は世界から消え去る事となった。
 「終わったわ」
 御月が沈黙を破った。あたりには麗祇の居た残り香すら残っておらず、清浄な空気が漂っていた。虫の鳴き声が、どこからか聞こえてくる。麗祇の張っていた結界が消え、その上に張られていた誘祇の結界も消えた。完全に、終わったのだ。
 「ひぃな、もう大丈夫だ――」
 「あの偽物は誰……?」
 誘祇の言葉を遮るように、ひぃなが口を開いた。誘祇は苦笑する。ひぃなの表情から、責めているつもりはない事が読み取れた。単に不審がっているだけのようである。
 「御月だよ。私の姫巫女のね」
 「嘘よ。神祇の力を感じるわ。
  それも、あなたのものじゃない、ね」
 誘祇はその指摘に動じなかった。ひぃなの頭に手を乗せる。きょとんと見上げるひぃなに彼はずしりとした重みを胸に感じた。
 「いいや、あれは私がずっと隠してきた姫だから……多少神祇の力を感じても仕方がないんだよ。
  分かっておくれ?」
 ひぃなは理解した。誘祇達上級の神祇側が、どうしても人間や他の神祇に隠したい事なのだと。だが、だからといってひぃなが態度を変える理由も必要性もない。
 それに、恐らく誘祇はあの偽物と……
 「誘祇」
 「うん?」
 いつもと変わらぬかのように、誘祇が返事をする。ひぃなは心の箱を閉じた。冷静で居なきゃいけない。誘祇の邪魔をしちゃいけない。私は、ただの愛し子なのだから。
 「暫く顔を見たくないわ。
  登下校は棕櫚に付き合ってもらうから、心配しないで」
 「ちょっと……ひぃな?」
 ここで漸く誘祇が動揺を見せた。ひぃなの表情からは依然として責める、という考えは全くないようだった。ひぃなは単に、悲しんでいた。だが、それに気付く者は誰もいない。
 その様子を見ている棕櫚は右手で頭を抱えている。
 「私に分かったって事は、勘の良い神祇にはばれるわよ。
  私にかまっている余裕があるなら、偽物を本物に感じられるまで頑張ったら?」
 ひぃなが言っていることは最もだった。御月はそろそろ危ないなと感じていた。ひぃなに悪気はない。ただ、誘祇とその周りの環境を心配しているだけだ。そしてほんの少しの嫉妬と戸惑い、無念さがあるだけだ。そんな娘子の目の届く場所に自分が居れば不安になるだろうし、このままこの会話を続けていけば近くにいる神祇にこの事が知られてしまう。
 「誘祇、私は先に周辺の見回りをしてくるわ。
  おひぃさまを、頼むわね」
 御月はそう言うと、そそくさと去っていった。誘祇を庇ってくれそうな人間は居ない。棕櫚は苦虫を噛み潰したような表情をしていたし、水鶏に限っては話がよく分かっていないようだった。否、ひぃなの気持ちと誘祇の気持ちの違和感について深く考え込んでいたあまり、ひぃなや棕櫚の行き着いた答えまで達することができていなかったのだ。
 「暫くって……分かった。
  ひぃなの好きにすると良い。
  気が済んだら、私に声を掛けておくれ?すぐに行くから」
 誘祇はひぃなに向けて納得できないと言おうとしたが、やめた。大人げないように感じたのだ。それに、ひぃなの言っている事は正論だった。ひぃなに不審がられるようでは、御月の正体が勘の良い神祇にばれるのも時間の問題だろう。
 「分かったわ。じゃあ、さようなら」
 ひぃなは素っ気ない挨拶をし、すたすたと歩き始めてしまった。水鶏は誘祇に向けて軽く礼をし、ひぃなの後を追った。
 「誘祇、お前のやろうとしている事は分かったし……何でそうしようと思ったのかも分かってる。
  だがな、そんな事をしたってひぃなの幸せは来ないぞ。
  ひぃなの気が済むまでの間、俺があいつの事は死守してやる。これ貸し一、な」
 「あぁ、分かった。ひぃなを頼むよ」
 誘祇は少し寂しそうに微笑んで、姿を消した。棕櫚はそれを見届けてから庭園を後にした。



 「ひぃな、どうしたんだ?
  お前らしくない。あぁ……いや、逆にお前らしすぎて変だ」
 「棕櫚……理解したから。
  何となく、誘祇がしようとしている事を理解したから」
 追いついた棕櫚が、ひぃなに向けて聞いた。ひぃなは歩きながら答える。既に月が皎々としていた。夕飯時が終わった頃合いであろう。
 「私は誘祇の邪魔はしたくない。
  だから、あぁ言ったのよ」
 ひぃなは大したことではないと、面倒そうに言った。水鶏はひぃなの隣を静かに歩いている。棕櫚はその一歩後ろを歩いていた。
 「棕櫚にはまた暫く迷惑を掛けるね」
 「いや、それは気にしていない。
  ひぃなさえ良ければ、それで俺はかまわないさ」
 「少しくらい迷惑掛けたって良いんだよ、ひぃな。
  私たちだって、ひぃなに色々と助けてもらってるし。ね?」
 棕櫚と水鶏の言葉にひぃなは苦笑した。棕櫚はひぃなと水鶏の肩を両腕で軽く抱き寄せた。三人の視線が交差する。ふ、とひぃなの表情が和らぐ。それを見た棕櫚が口を開いた。
 「俺たちは、どんな状況だろうと親友だろ?」
 「……そうだね。ありがとう」
 「うん。いつまでも近くにいてあげるからね。ひぃな」
 三人で笑い合いながら歩いていく。そんな中で棕櫚は改めて、誘祇の行動を考えていた。何故、ああまでも誘祇はひぃなの事を真に理解しようとしないのだろうか。このままではひぃなが不憫だ。
 誘祇の意識改革をしないとこれから先が不安だと、棕櫚は思った。これから、自分がすべき事は何か。それはまだ決まらない。だが、少なくとももう暫く苦行が続くであろう事は想像できる。
 そんな事を考えながら、棕櫚は二人に気が付かれないような、小さな溜め息を吐くのだった。

第三話:狙うは姫巫女候補 了




lll back lll top lll novel top lll next lll
▽よろしければ投票お願いします。(月一回)▽