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 私と母は向き合って座っている。いつの間に持ってきたのか、近くにはお茶菓子やお茶まであった。
 「あなたが幼い頃の話よ」
 そう言って始まった私の昔話。



 我が家の結界をものともせずに、門が開いた。娘のにおいだけではない。他の者がいる。神だろう。玄関の前まで来た事が分かる。娘の反応がない。眠っているのだろうか?死の香りはしていないから、まだ大丈夫だ。
 わたしの力よりも強く、あまり良くない意志を持つ神であったらどうしたものか。そう少し嫌な考えを浮かばせたが、すぐにその思考は止めた。柔らかく声を掛けられたのだ。
 「この娘子の家と思い、来たのですが……あっています?」
 「えぇ、その通りです」
 そう言うと、どこかほっとしたような柔らかい雰囲気が漂ってきた。どうやらきちんとした神のようだ。しかしどこか知っている感じがする。気のせいではないだろう。とはいえまだ思い出せない。
 「申し訳ありません。
  私は勝手にこの屋敷へ入る事はできません。よろしければ……この玄関の戸を開けていただけませんか?」
 この神は信用できる。そう判断したわたしはその戸を開いた。
 「どうぞ、お入りください。優しき神よ」
 「ありがとう」
 姿を見た瞬間、この神が何者なのか理解した。この世界の最高神、誘祇上(いざなぎのかみ)だったのだ。
 「この娘、私はひぃなと呼んでいるのですが、名は何と言うのです?」
 玄関に入った瞬間聞かれた言葉は、わたしを固まらせた。その名は……数ヶ月前に娘が自ら持ち帰ってきた巫女名だったからだ。それまでは娘を「愛し子」と呼んでいた。
 娘は姫巫女にはなれない。そう思いつつ、妻のように姫巫女として幸せになって欲しいとの考えから娘に呼び名をつけていなかった。
 それが数ヶ月前、嬉しそうな顔をして娘が自ら名乗ったのだ。「わたし、きょうからひぃなってなまえになった!」と幸せそうに言っていた。
 その時、わたしは運命を感じた。あぁ……娘はもう人間として生きられない。神の娘、そして神の妻として生きるしかないのだ、と。
 「ひぃなと呼んでください。誘祇上」
 「はは……やはり正体が分かりましたか」
 そう言って、美しい銀糸の様な透き通った髪を揺らしながら彼の神は笑った。
 とにかく玄関先で長話は失礼だと気が付き、茶の間へと案内した。その間娘は神に抱きかかえられたままであった。
 娘を奪い返したいと一瞬頭にちらついたが、別に奪われたわけではないと意識を押し込める。娘が神を気に入ってしまったのは仕方ない。そうは思うものの、やはりもの悲しいと同時に悔しい。
 神を座らせてから一つお礼を言わなければならない事を思いだした。お礼とお詫びを口にせねば、無礼なのではないかと気が付いたからだ。娘が迷惑をかけたという点ではわたしは何とも手助けをする事はできない。そういった事にならないのを祈るしかないのだが、何とかなるだろう。
 「しかし本当にご迷惑をおかけしまして……」
 深くお辞儀をしたら神が固まった。お辞儀が足りなかったのかと、土下座した。逆効果だったようだ。彼の神は慌てた様子で、そんなことしないでと言っていた。
 「ん……」
 神につれられた時から寝入っていた娘は、その騒ぎに目を覚ました。視線はまだぼんやりとしている。
 「あ……かみさま」
 娘が父であるわたしではなく、神を真っ先に視線に捉えて声を掛けた瞬間……完全な敗北を悟ったのだった。あぁ、我が娘はこの年にして伴侶を決めてしまったのだ、と。
 大げさかもしれないし、親ばかだというのかもしれない。しかし、わたしがその時に感じた予感は正しいものとなった事が後日判明するのだった。



 「そろそろ私も屋敷に戻らなければ……」
 夫と話をしながら寛いでいた神は、腰を低めにそう言った。わたしは、娘がとられるであろう神に対してどちらかというと好感的に思っていた。折角来ていただけたのだから、もう少しいてくれても構わないのにと言ってみる。
 「いえ、一応執務が少し残っているので」
 残念そうに言って神は立ち上がろうとした。仕事の最中に恐らく娘に呼び出されてしまったのだろう。迷惑だったかと考えると同時に、仕事よりも娘を優先させてくれる神の優しさを思った。
 「娘が仕事を中断させてしまったようですね。
  そういう事でしたら引き留める事はできません」
 「誘祇上、この屋敷に許可なく入れるようにしておきます。
  時間ができた時には気軽においでください」
 夫とわたしでそう答えると、神は柔らかく微笑んだ。確かにわたしは初めてこの最高神と接したのだけれど、それでもこの神が最高神であれば良い世界が続きそうだと思えてしまうくらい、良い神に感じた。
 我が娘ながら、良い神を選んだものだ。
 「では、失礼――」
 暇を告げようとした神が切なそうに顔を歪めた。
 「あら……」
 再び眠りについたひぃなは彼の着物を強く握りしめていたのだ。
 「誘祇上、顕現を解いてお帰り下さい」
 「いえ……もう良いです」
 何故か観念したように言った神は、元いた場所に座り直してしまった。何をするつもりだろうか、と訝しむわたし達をよそに神は空間を操作して巻物を取り寄せた。
 「ここでも作業できるものばかりですから、彼女が目を覚ますまで私はこちらにいますね」
 「まぁ、迷惑をおかけしてすみません」
 「私も、この愛し子と共にいる時間は大切に思っていますから……
  長くいられる分には、迷惑だなんて」
 さも、いてもらっているのは自分の方だと言わんばかりの言葉に、わたしも夫も目を点にしてしまった。



 「なんて事があったのよ」
 「え……記憶にない分、続きが気になるんだけど!?」
 続きをせっつく私を無視する。それに、いつ私が誘祇と出会ったって……?
 「とにかく、あの神はちょっとやそっとじゃひぃなを嫌いになるわけがないわ」
 私は、お父さん経由で誘祇に会ったんじゃないの?私が初めて彼に会ったのは、祖母の御霊返しをした後で……
 ――ひぃな――
 誘祇の、声?
 「あ」
 あれ?私は何を……――
 誘祇の声らしきものが頭に響いた瞬間、今何を強く思っていたのか分からなくなってしまった。何だったんだろう?
 「ひぃな、そろそろ夕ご飯にするわね」
 「あ、うん」
 話の途切れを区切りに、お母さんは夕飯を作りに台所へ行ってしまう。私は小さく息を吐いて、自分の部屋へ向かった。




 結局思い出せなくて、もやもやしたまま学校へ向かう事になってしまった。
 全然分からない。だけど、何か記憶の食い違いがあったような気がする。何かがおかしいのだ。それ以上の事は全く分からない。
 誘祇に聞きたい。何が起きているのか、知りたい。知りないのなら、こんな風に意地を張っている場合じゃない。
 悶々と考えていると、棕櫚(しゅろ)水鶏(くいな)が心配そうな視線を投げてきた。そんな二人には「まだ大丈夫」という気持ちを込めて軽く笑みを返した。
 そのつもりだったのに、二人ともこっちに近付いてくる。
 「本当に大丈夫なのか?」
 「……信用ないみたいね。私」
 「いつも、大丈夫って言うんだもの。
  大丈夫じゃない時だって、そう言ってるでしょ?」
 確かにぎりぎりまで我慢や努力を続けるけど、大丈夫って言っている時点では本当に大丈夫だと自分では思ってるからなのに。
 「今のところは、本当に大丈夫。
  ちょっと思う所があるだけだから」
 「……その、ちょっと思う所っていうのが信用ないんだぞ」
 棕櫚が呆れた声を出す。
 「まだ、私の中でもよくまとまっていないの。
  だから話せない」
 正直に言えば、今後自分の中でまとまったとしても、この話題を出すつもりはなかった。話をするとは言っていない。だからこれは嘘じゃない。
 「なら、良い」
 思ったよりもあっさりと退いた棕櫚を、あまり心理戦が得意でない私は放置した。
 「ただ、これは話しておこうかな」
 何を、と小さく水鶏が呟いた。私は少し気分が良かった。誘祇の反応が楽しみだったのだ。
 「私、当日に誘祇を強制召喚するわ。
  本人へ事前に伝えずに、ね」
 二人とも、一瞬何の話か分からないような顔をした。だけどそれは一瞬で、みるみるうちに何故そんな事をしようとするのか理解できない、といった表情に変わった。
 良いじゃない。これは、私の些細な挑戦なんだから。




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