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何事もなく、数日が過ぎていき、とうとう実習のある日がやってきた。ひぃなは相変わらず、私や棕櫚に詳しい事を話してくれない。それでも、笑顔を見せてくれていたからあまり心配はしていなかった。
先生の声が教室に響き渡る。ここは一番広い実習室だ。普通の教室では、神祇が召喚されて人口密度が上がると全員を収容しきれない。この教室は一番上の階に作られていて、ここからの景色は綺麗な事で有名だ。
空も近くに見える。天気が良くて、何でもやれば成功してしまいそうだと気分まで明るくなるほどだ。
まだ冬は終わっておらず、あと数週間は寒さが厳しいだろうと思われる時期だ。しかし雲一つ無く、暖かな日差しが注がれているせいか、そんな気分になるのだった。
「きちんと、今日召喚する予定の神祇と約束はしておきました?」
私と棕櫚は大丈夫だ。手の込んだ仕事は控えてもらうようにお願いしてある。ひぃなに関しては、何も言ってこない事を考えると、まだ誘祇(に何も言っていないようだ。
ひぃなは大丈夫なのだろうか。神祇の強制召喚は簡単な事ではない。しかも、強制と名はついているものの、本気で神に拒否された場合は召喚は実現されない。召喚の失敗だけで終わればいいが、呪詛返し同様に術者に使った分だけの力がそのまま返ってくる。呪詛返しほどではないにしろ、術者に負担がかかる事になる。
できれば、やらない方が良い術だった。
誘祇の事だから、忙しくても拒絶はしないと思うけれど。だからといって、誰だか判らない喚びかけに応じるかは不明だ。無条件で応じるほど危機感のない神ではない。今回の事は賭けのようなものだ。
「やり方は覚えていますか?
念の為に、今から手本を見せます」
しっかりと見ておくよう、先生は釘を刺しながら行動を開始した。
先生の手本は平凡だった。何か失敗をするでもなく、特筆すべき点があるわけでもなかった。そんな事言ったら失礼かもしれないけれど、事実だ。手本という意味では、これ以上ない程完璧な手本だ。
術式の書いてある符をかざし、言葉を添える。符が光り出した所で、先生によって神の名と呼び出す為の言葉がそれに刻まれた。
さらさらと、先生の付近に小さな歪みができる。その歪みは不快なものではなく、どちらかと言えば心地よいものだった。
人のような輪郭が現れ、完全に顕現すると歪みは消え去った。
「こんにちは、みなさん」
にこやかに挨拶するそ(れ(、は明らかに地祇だった。
「彼は今回この授業を手助けしてくださる神です。
どうしてもうまくいかない時は、彼にも頼ってみてくださいね」
先生に対する態度や見かけは普段の地祇とは異なっていたが、神の纏う気は地祇のそれだった。
「何であいつが……」
いつの間にか近くまで来ていたらしい、ひぃなの呟きが聞こえてきた。ひぃなも私と同じ様に考えていたようだ。
「毎回姿を変えて手伝っているのかもしれないね」
「それは構わないけど、崩祇(の面倒はどうなってるのよ」
ひそひそと話をしている私たちに向けて、軽く視線を向けて片眼を瞑る。いたずらにそんな事をしてくる神祇は地祇しか知らない。
しかしひぃなの言う事は尤もだった。崩祇の面倒を見る事が本来の役割であるならば、授業の手伝いをしているのは不自然だ。また、今までの実習で地祇が手伝いとして現れたのはこれが初めてである気がする。そもそも、神祇が授業に現れる実習なんて今までなかったけれど。
「心配性で過保護な神様の差し金じゃねえか?」
どの辺りから聞いていたのか、棕櫚が話に加わってきた。
「……かもね」
軽い溜め息を吐きながらひぃなが返事をする。彼女は暫く地祇を見つめていたが、何か思う所があるのか棕櫚の方に向き直した。
「ところで棕櫚」
「ん?」
「崩祇の箱庭、誰かいそう?」
ひぃなの言葉に棕櫚は目を閉じた。漆黒の瞳が隠れる。棕櫚の周りに小さな旋風が巻き起こった。あまりに小さい為、他の生徒には気付かれなかった。
「んー……
地祇っぽいのが一つ視えるな」
棕櫚がそう言うと、目を開いた。小さな旋風も収まっている。彼は、遠くの物などを見る能力を持っている。所謂千里眼というやつだ。見るとは言っても、感じるに近い感覚であるらしい。映像として見えるわけではないようだ。
「だが、あれは導祇か?
導祇の奴、地祇のふりして崩祇の面倒見てやがる」
彼はもう一度目を瞑り、ぶつぶつと呟いている。ひぃながそれを聞いて札を出した。
「気になるから走査してみる」
左手で札を持ち、腕を前へ伸ばす。右手を額へ持って行き印を作った。
「我が力よ、拡がりて我に告げよ」
「あ、ひぃなまで」
今は授業中なのに、好奇心が勝っているのか普段は真面目な方であるひぃなまで動き始めた。ちらちらと先生たちの方を見るが、まだ誰も気が付いていないようだった。
ひぃなの髪が不自然になびくと、すぐに彼女は戻ってきた。心なしか緊張しているようだった。
「走査、普通は見えないはずなのに……目が合っちゃった」
走査とは自分の力を周囲に走らせる事によって周りの状況などをしる術である。彼女の様に自分の力が常に発散状態になっている人は走査を行うのが上手になりやすいと言われている。上達するほど走査に使う力が他人に気が付かれなくなる。他人に気取られない程度の力を上手に走らせる事ができるようになるのだ。
「あれは導祇だった。でも、あんなに勘が鋭い神だったの??」
「路(に気が付いただけだと思うけど……」
こころなしか焦っている彼女に、私は冷静に答えてあげる。ひぃなの事だ、恐らく円形に拡げるのではなく、一直線に拡げたのだろう。微量ながら力の濃淡ができ、それをあの神は見分けたのではないだろうか。
「ひぃなが何も言わなければ向こうだって何も言わないと思うぞ」
「そう、かな」
それでもやはり不安そうな顔をしたままの彼女は、教室の方へ視線を戻して固まった。
「何なの……あれ」
ひぃなの視線の先には、なにやら召喚を失敗されてしまったらしい憐れな神祇の手首が転がっていた。溜め息を吐いてひぃなが召喚を失敗させた張本人の方へ歩いていく。彼女の名前は佐久。ちょっと集中力に欠ける子だ。符を見てみた所、丁寧に書かれており間違いはなかった。
「あの手首、名は何?」
「あ、ひぃな。えっと、彼は綱祇(って言うの」
「そう、少しどいてね」
ひぃなは手首の持ち主の名前を聞き出すと、自分の符を取りだした。もちろん召喚用のものだ。
「我は喚ぶ、我を助けし者を。
我は頼む、憐れなる神祇に。
我が下に顕れよ、綱祇とやら」
うわぁ……術式はちゃんとしているのに、喚び文句の何と手抜きな事か。私と棕櫚は苦笑を隠せなかった。しかもあんなに酷い喚び文句なのに、召喚が成功しそうであった。
「っ……!
ひでぇ言葉だったな。
だが、ちゃんと喚んでくれて助かった。礼は言っておく」
手首の持ち主が現れた。可哀相な事にまだ手首は繋がっていない。手首を持ったままおろおろとしているからだ。早く渡してあげればいいのに。綱祇だって、別に力の具合を変えて手首を構成し直せば佐久がそんなに動揺する事はないのに。
「佐久ちゃん、今度やる時は集中してやってね。
術式は間違っていなかったみたいだから」
「あ……ありがとう、ひぃな!」
「佐久、お前なぁ……手首だけしか顕現してないっていうのに、なんつーことしやがるんだ!」
手首を付けるなり、綱祇は佐久に言葉を勢いよく浴びせかける。佐久は肩をびくりと跳ね上げ、ぎゅっと目を瞑った。ちょっと可哀相かなと思い、助け船を出してあげようとした。
「綱祇さ……――」
「手首分の力だけの顕現じゃ、いざという時にお前を守ってやれないだろう?」
「うん」
「ま、いざという時なんてのが来るときは……喚ばれなくてもすぐ来て助けてやっけどな」
先ほどまでごちゃごちゃと言っていた神が、今度は甘い言葉を囁いている。意味が分からない。
「……単に心配で、声を荒げただけかよ」
棕櫚が呆れたように声を漏らした。この二人は、もしかしなくても良い感じなのではないだろうか。すっかり棕櫚と私は二人に当てられてしまった。
ひぃなを見ると、少し羨ましそうな顔をしていた。きっと誘祇の事を考えているんだろう。一旦二人の会話に落ち着きが見えた所で、ひぃなが声をかけた。
「佐久、今からこの術の上級術をやるわ。
これくらい集中すれば……あなただって召喚くらいできるはず」
「え?」
ひぃながやる気を起こしたようだ。その前に、私たちが召喚しておかなきゃ。棕櫚と目配せすると、急ぎで呪を唱え始める。
「我が祈りを聞け。
略式召喚……!」
「我は求む、我が愛しき神よ!」
約束しておいたおかげか、すんなりと神祇が現れた。棕櫚の方も大丈夫だったようだ。綾祇(が彼の隣に添っている。
「あぁ、略式だから変だと思ったら……ひぃな殿が強制を行使しようとしていたのですか」
「全く、あの娘は無茶をする……」
神が小さく息を吐いた。佐久は私と棕櫚の略式召喚に驚いている。しかしその驚きは序の口である事を知らない。
「佐久ちゃん、これからが本番だよ」
「え、水鶏(ちゃん……?」
不思議そうにこちらを見る佐久に、ひぃなを見ているよう促した。ひぃなが符をかざしているのに気が付いた佐久の視線がそこで留まる。
「我が声を聞けよ。
我が祈りを聞けよ。
我が意に添りて顕れよ。
拒絶するは許さじ。
我が前に姿を現せ――
我が喚びし神祇はこの世そのもの。
誘祇よ、我が下へ来よ」
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