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 今年は暗き闇の中、眠り続ける。
 それが、僕の選んだ道だ。


 春は僕の季節、僕の世界。
 精霊は最も力が強まる一時しか、姿を顕し力を使う事ができない。
 なのに、己の季節ではない冬の季節に姿を顕し、力を振るった。
 それはいくら特別な存在の僕にだって、危険な事だった。
 消えてしまうかもしれない。
 でも、彼女を守れるのなら構わなかった。
 それもまた、僕の運命なのだろうから。


 僕は、結局消えずに済んだ。
 今年の春、花を咲かせる力と引き換えに。
 きっと心配するだろう。
 だから僕は、あなたの気を感じたら目を開けるよ。
 あなたの声に、できる限り返事をするよ。
 そんな風にあの時から力を無駄に使い続けているからかな?


 とても眠い。
 とても、眠いんだ……――



神祇の宴
第一紀「宴」
 第五話:桜、夜に舞う




 春休みが終わり、新しい学度が始まった。この季節は別名桜季(おうき)と呼ばれ、花の王である桜が咲き誇り、精霊の力が一段と強くなる。精霊王の出現するこの季節のみ、時季外れの精霊も姿を顕す事ができる。
 そんな季節だ。
 「花桜(かおう)、もう春になったよ。
  まだ蕾すら見当たらない。……元気なさそうね。
  私の為に、力を使ったから?」
 一人の少女が見上げるのは、一本の巨木。周りの木々に囲まれるようにして存在する、古くからある桜の木だった。世界は変わらず、精霊の喜びの声で満ちている。しかし、その中心であるはずのこの木からは、何も感じられなかった。
 ただ、少女の声に枝を揺らすだけである。
 「また、来るね」
 去り際に寂しそうにそう呟いた、少女の声が静かに巨木へ染み渡っていく。それでも、巨木に蕾すらつく気配はなかった。



 最近の水鶏(くいな)は変だ。それは彼女の親友であるひぃなと棕櫚(しゅろ)の二人が等しく思っている事だ。麗祇の時とは違った風におかしいのである。
 声を掛けても上の空、彼女らしからぬ失敗が続く、基本的に反応が鈍い。始終何かを考え込んでいるらしいこの状態は、今までにない事だった。
 「一体今度はどうしちゃったんだろうね?」
 「まぁ、危険な事に関わっているわけじゃなさそうだが……
  ああも考え込まれちまうと、逆に気になるよな」
 授業間の休みは、水鶏はほとんど自分の席から離れない。ひぃなと棕櫚は少し離れた席でそれを見つめていた。二人は、彼女の様子を見ながらどうしたものかと話し合う。
 「でもなぁ、話したくない事に部外者の俺たちが首を突っ込むのも迷惑だろうし」
 「せめてこっちに相談してくれれば良いのにねぇ……」
 「待ち続けるのも、結構辛いもんがあるぞ」
 自分たちが彼女に話を打ち明けない事を彼女がやきもきしていた事は気が付いていないようだ。当人が聞いたら、きっと隠していたわけではないと否定する事だろう。
 「いっその事、勝手について行っちゃおうか?」
 ひぃながぼそりと呟く。棕櫚が視線をひぃなへと戻した。その瞳はきらりと輝いている。
 「それ良いな。やろうぜ」



 「どこまで歩いていくのかと思ったら、家の近くだったのね」
 思い立ったら即実行、がひぃなと棕櫚である。水鶏の後を追うという思いつきが提案された日の放課後、水鶏と別れてから静かに彼女の尾行を開始した。彼女は別れてから真っ直ぐと家へと向かっていた。だが、家には入らず家の向かい側にある林の奥へと向かう。
 「あれ、怪しいわね」
 「誰かと会う約束でもしてるのか?
  それも……周りの人間には知られたくないようだ」
 林の奥には、数分で辿り着いた。そこには一本の巨木があり、水鶏はそれを抱きしめるかのように密着していた。
 「うーん、実は水鶏の本命とか?」
 「そんな感じもするな」
 水鶏の声は聞こえない。だが、様子や雰囲気から二人はあの巨木が彼女の大切な者なのだという事が伝わってくる。
 「あれにはあまり力を感じないんだけど、どう思う?」
 ひぃなが不安そうに聞く。棕櫚は自分の記憶が正しければと前置きを付けた。
 「あの木は元々相当な力を持つ精霊のいる物だろう。
  俺の見立てでは、精霊王かもしれない」
 「何でそう思うの……」
 「周りの精霊達が安定している上に、他の地域よりも元気がある。精霊王の力が強く及ぶ所ほど、精霊は力が増すからな。
  そして古樹みたいだ。今の精霊王は歴代の中でも長寿だと言われている。条件が当てはまるんだ」
 気が済んだのか、水鶏が巨木から離れた。咄嗟にひぃなはしゃがみ、棕櫚は木の陰に隠れる。彼女は二人に気が付かぬまま、来た道を戻っていった。彼女の気配が消えて暫くしてから、ひぃなと棕櫚は隠れるのを止めた。
 「さっきの話の続きだがな。
  精霊王は自分の力が一番強まる季節になると、世界の精霊に自分の力を分け与える。
  それがこの季節に精霊の力が高まる原因だ」
 「そうだったの」
 「今年だったか、来年だったかに学校でも習うから覚えておいた方が良いぞ。
  で、ここからが本第だ。この木が精霊王だとして、何故この時期に花を咲かせていない?
  考えられる事としては、寿命が近付いている、何か無理をした、以外にはあまり思い浮かばない」
 水鶏が帰ったのに隠れ続ける必要もない。ひぃなはゆっくりと礼の巨木へと歩き始めた。棕櫚もその後に続く。
 「精霊王、ね。私にはすっからかんの木にしか見えないんだけど。
  触ってみれば分かるよね」
 ひぃなが近付くほど、木々のざわめきが多くなる。彼女の力に反応しているのだろうか。棕櫚は不用意に触らない方が良いと言おうとした。だが、一歩遅かった。
 「っ!」
 「おい、ひぃな!?」
 「あ、大丈夫。
  原因はおおよそだけど分かったわ」
 触った途端小さな火花が散った。驚く棕櫚に、これくらい何でもないと彼女は手を振った。
 「寿命じゃない。力を使いすぎたのよ。
  理由は分からないけれど……」
 「精霊達には何も変わった所はない。
  こいつらには影響が出ないように、気を利かせたんだろうな」
 今度は棕櫚が辺りを見回しながら考えを紡ぎ出してゆく。ひぃなは精霊に関する知識が思っていた以上にない事を、実感する。
 「何かがあって、元々力が弱っていた。
  だが、他の精霊に迷惑はかけられない。ま、世界の調和も崩れちまうから、半強制的にだろうが力の拡散を行った。
  更に自分の力を削られた精霊王は、花を咲かせる程度の力も消費できないほどになってしまった。って所か」
 ひぃなは再び巨木に手を当てる。今度は本当に何も起きなかったようだ。そのまま水鶏がしていたように巨木に擦り寄った。何の反応もないのが彼女は不服なのか手のひらでぺちぺちと幹を軽く叩く。
 「水鶏がいなくなった途端、眠るんじゃないわよ」
 「起きていられないんだろ。
  せめて、大切な人の時くらいは起きていたいっていう男心だろう」
 ふてくされたようなひぃなの言葉に、半ば呆れながら棕櫚が答える。その答えを聞いてもなお、不満のようだった。そして棕櫚は珍しく子供のような態度を取るひぃなを木からゆっくりと引き剥がす。反抗はなかった。
 「大切だって思うなら」
 「あ?」
 「大切だって思うなら、身体張ってぼろぼろにならないでよ。
  ……ぼろぼろになってまで、守られたって嬉しくないんだから」
 不満の原因はどうやら反応がなかった事ではないようだ。ひぃなはいつも、誰かを守る為に誰かが犠牲になる事を厭う。きっと誘祇(いざなぎ)と自分の関係を重ねてしまうのだろう。棕櫚にはひぃなの思っている事も分かっていたが、守ろうと自分の身を顧みずに動きたいという思いも分かっていた。男は愛しい人の為ならば、自分の事など大したことじゃないと思えてくるものなのだ。男に限定せずとも、女だってそうなのではないだろうか。ひぃなだって、現に自分の事を犠牲にして誘祇を支えている面がある。気が付いていないだけなのだろうが、それがこの世界に生きる者の性質なのだ。
 犠牲によって成り立つ世界ではない。だが、支え合ってこそ成り立つ世界なのだ。多少の傷つきは仕方がない事だ。それに一々反応してつっかかっていくひぃなは、愚かであるが愛おしい。
 「愛する存在が危機に陥ったとき、思わずやっちまうんだよ。
  お前も、理解できないわけじゃないはずだ」
 そう言いながらひぃなの頭を優しく撫でてやる。ひぃなは小さく頷くと、棕櫚に抱きついた。
 「分かってる。だけど、納得がいかないの……」
 「……なら、今日は何もせずに帰るか」
 「うん」
 ごめんね、と彼女は言う。棕櫚は優しく頭を撫でてから、気にするなと言った。巨木はやはり目覚めた様子もなく、ひっそりとしている。本当に、自分の見知った者にしか反応しないようだ。
 「明日にでも、水鶏本人に聞いてみよう。な?」
 「……そうだね」
 棕櫚の背に回していた両手を戻し、何事もなかったように苦笑する。彼から離れるとひぃなはくるりと木の方を見た。棕櫚の方から表情を見る事はできなかったが、雰囲気は柔らかかった。この木に多少の親しみを持ったかのようだった。
 「さ、行きましょ。
  早く帰らないと、心配されちゃう」
 彼女の言葉に頷くと、二人は林を抜けていった。




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