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 翌日、やはり昨日と同じくぼんやりとしている水鶏(くいな)に二人は声を掛けた。彼女はゆっくりとした動作で振り返る。
 「水鶏、最近悩んでるというか……考え込んでいるみたいだけど、どうしたの?」
 「こっちもつられて、調子が狂っちまう」
 二人の言葉に、水鶏は言い淀むかと思ったが、思ったよりもすんなりと事情を話してくれた。どうやら、秘密にしたいと思っていたわけではなく、ただ相談するという選択肢に辿り着けなかっただけのようだ。
 「うん。私ね、とても仲が良い精霊がいるの。
  その子がまだ目を覚まさないから心配で……」
 やはり原因はあの木で間違いなかった。二人はこっそりと顔を見合わせた。
 「あの子、私が麗祇に襲われた時、冬なのに助けに来てくれたの。
  桜の精霊だから、冬は眠っていないといけないのに」
 ぽつり、ぽつりと水鶏が話す内容は、昨日棕櫚(しゅろ)が考察した通りだった。話を続けていくうちに、彼女の目には涙が浮かんでいく。
 「私のせいで、まだ目覚められないの。なのに精霊達に、力を分けてしまったの!
  このままじゃ、衰弱して消えちゃうかも……っ
  で、でも……わたっ、私は何も……っ!」
 「大丈夫よ、水鶏」
 動揺のあまり、呂律が回らなくなっていく水鶏をひぃなの言葉が優しく包む。棕櫚はその様子を静かに見守っていた。涙を浮かべる彼女の瞳には闇が垣間見える。
 「……そうだ、放課後に私たちを彼の所に案内してもらっても良いかしら?
  何かできるかもしれない」
 単に力が足りないなら、くれてやる。ひぃなは心の中で呟いた。水鶏はそんな事など気が付いていない。それはそうだ。今はそれどころではないのだから。
 「うん。連れてくね」
 彼女の表情は愁いに満ちていたが、二人はその言葉に表情を和らげた。水鶏は少しすると、再び自分の世界へと戻ってしまった。会話が途切れ、教室内のざわめきが三人の周りも支配する。
 「行くか」
 「……うん」
 水鶏の思考から排除された二人は、小さく言葉を交わすと自分の席へと戻っていった。



 「こっち」
 放課後、三人は水鶏の家の方向に向かっていた。暫くすると昨日と同じ場所へ辿り着く。
 「この子、花桜(かおう)って言うの。
  優しくて、とても良い子なの」
 そう言うと、彼女は幹に身体を預けた。
 「こんにちは。調子はどう?
  今日は私のお友達を連れて来たの」
 「はじめまして、花桜」
 ひぃなが含みを持たせて言った。その理由を知っている棕櫚は苦笑する。
 「水鶏、何でそんな体勢で話しかけてるの?」
 棕櫚もそれは気になっていた。そんな事しなくとも、精霊には聞こえているはずだ。わざわざそうする必要はない。
 「少しでも私の力が足しになれば良いなって思って。
  無駄だっていうのは分かっているつもりなんだけどね」
 その言葉に木々がざわめいた。この二人は辺りの木々にまで心配をさせているという事か。
 棕櫚は辺りを見回した。ここは良い場所だ。力が安定している。不用意に崩祇が顕れる事はないだろう。それくらい、空間が澄んでいる。
 棕櫚がよそ見をしている間に、ひぃなが行動を起こしていた。小さく「あっ」という水鶏の驚く声が聞こえてきた。彼が振り向くと、水鶏がいた場所にはひぃながいた。
 「花桜。私ね、相手の気持ちを考えずに自己満足だけで行動するひとが嫌いなの。
  もっと言うとね。自分が犠牲になれば相手が幸せになれるって勘違いしているひとが、もっと嫌いなの」
 「花桜はそんなんじゃ……!」
 水鶏がひぃなの言葉に反応する。棕櫚は溜め息を吐いた。桜がざわめく。が、それはとても弱々しいものだった。
 「だからね。私が力をあげるから元気になって頂戴。
  ほら、水鶏。力を貸して」
 勝手に話を進めるひぃなに水鶏はついていけなかった。辺りのざわめきが大きくなる。周りの精霊は不安なのだろう。
 「あなたの、この木を想う気持ちが欲しいの。
  私だけじゃ不味くて、しかも栄養にもならない食事を与えるようなものになっちゃうわ」
 ひぃなの表情が柔らかい事に気が付いた水鶏は、漸く彼女の意図を理解した。
 ひぃなの手を握り、ゆっくりと目を閉じる。水鶏の準備ができると、ひぃなが動き始めた。
 「精霊が王よ。我が力を納め給え。
  我が力は広き力。
  我が力は深き力。
  この、神祇、崩祇をも魅了する濃ゆき力を、その御身に納め給え」
 言霊を発すると、ひぃなが巨木に触れている手に光が集まった。淡く、柔らかな光は木漏れ日のようだった。これが、ひぃなの力である。
 「私の力、全部はあげられないけど……
  少なくとも、当分の足しにはなるはずよ」
 精霊や神祇は力の塊と言っても過言ではない。しかし、そんな神祇とは異なり精霊は力が不安定だ。
 そんな存在である精霊が力を無駄に使ったらどうなるか。
 精霊はたちまち力を失い、消滅してしまうだろう。精霊は神祇と比べると、とても非力だ。それ故に神祇の誓約とは異なって、制約が多い。それにも関わらず花桜がまだ消滅せずに存在していられるのは、偏に彼が神祇に近いとさえ言われる程の力を持ち、精霊を束ねる地位にいる精霊王であるからであった。
 「遠慮はいらないわ。
  私、あなたと直接話がしてみたいの。
  このままじゃ、碌に話もできないじゃない?」
 術を使い始めても強気な発言をするひぃなに棕櫚が心の中で感嘆の声を上げる。普通はこのような事はしない。いや、できないのだ。尋常ではない程多く力を持っているひぃなだからこそできる事なのである。
 ひぃなと手を繋ぎ、緩衝剤の役割をしている水鶏の表情は既に硬い。心なしか、顔色も悪いかもしれない。
 「ひぃな、あまり無理はするなよ。
  水鶏が先に潰れる」
 言われてから気が付いたように、ひぃなが水鶏を振り返った。途端、彼女の動きが止まる。
 「……ごめん」
 そう言って、水鶏の額に自らの額を当てて言霊を紡いだ。
 「これで楽になるはず……
  厳しかったら言ってね? どうせ、後少ししかやらないけど」
 ひぃなが何を唱えたのか、棕櫚には分からなかった。だが、その言霊が有効だったのは目に見えて分かる程、水鶏の顔色が戻っていく。
 ふと、棕櫚が小さな違和感を感じて辺りに目を配らせると、ひぃなの力がこの辺りを薄く包み込むようにして存在している事に気が付いた。彼女は今一点だけに集中して力の放出をしようとしている。しかしそれが難しいらしく、結局全身から流れ出している力の量が増してしまっていた。
 その流れ出ている力に反応してか、辺りの精霊が騒ぎ始めた。悪い雰囲気ではない。王の目覚めが近付いているのかもしれなかった。
 「ひぃな、きついだろ。
  俺を頼ってくれ」
 額に小さな粒を浮かべ始めている彼女に棕櫚が声を掛けた。ひぃなは気まずそうに微笑む。棕櫚はそれを了解と受け取り、ひぃなの手に自分の手を重ねた。そして空いている方の腕で、彼女を包み込むように軽く抱きしめた。
 「我妹子(わぎもこ)が苦痛を和らげよ。
 我が力を持て、彼の者の力を抑えよ」
 一瞬、爽やかな風が三人の周りを吹き抜けていった。ひぃなの表情が少し和らいだ。それを覗き込んで確認した棕櫚は新たに言霊を重ねた。
 「我に宿りし力よ。
  力尽きかけんばかりの、この精霊王に溢れんばかりの精霊が言霊を届けよ。
  ……さぁ、辺りの精霊よ。お前達の為にこうなった、素晴らしき王に多少は感謝として力を返したらどうだ?
  俺がきちんと届けてやる」
 辺りの木々がざわついている。棕櫚はひぃなを抱きしめる力を強め、膝に力を入れた。じわり、と棕櫚の身体から汗がにじみ出始め、唇からは重い息が吐き出された。
 「……棕櫚こそ無理してるでしょ」
 「これくらい、平気だ。
  ただ力の仲介役になってるだけだからな」
 水鶏同様、緩衝剤の役目を自ら負い、その力をひぃなの手を通して花桜へと送る。他人の力を体内に一瞬でも納める事は、苦痛を伴う。他人の力が流れ込む時に、体内を侵されたような不快感が襲うからだ。その力を放出するのには、無理矢理自分と同じ性質に変化させる必要があり、そちらはちりちりと焼けるような痛みが襲う。それを知っているひぃなはくすり、と笑う。
 「やせ我慢しちゃって」
 「良いんだ。後で嫁さんに慰めてもらうから」
 「……ばか」
 存外に、その言葉が優しく響く。水鶏は辛さや現状を忘れて微笑んだ。そうこうしている内に、精霊からの力が流れ込まなくなった。棕櫚は思わず手を離し、木を見回した。相変わらずひぃなは力を与え続けている。だが、それも終わりがやってきた。
 「皆に迷惑をかけてしまったみたいですね……」
 言葉とほぼ同時につむじ風が巻き起こる。つむじ風によって、咲いているはずのない桜の花びらが舞った。
 「ありがとう、水鶏。
  助かりました。水鶏のご友人方であられる、ひぃな殿と棕櫚殿……
  いずれ、このご恩はお返しします」
 精霊王と思われる声の主は、ひぃなと手を繋いだ状態で顕現した幼い少年であった。




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