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 ひぃながふぅ、と溜め息を吐いた。
 「良いわ。気が変わったら来てね」
 そう言うと彼女は立ち上がる。そろそろ両親が心配する頃だ。早く帰らないといけない。それを察した棕櫚(しゅろ)もまだ少し重い腰を上げる。
 「んじゃ、帰るか」
 「そうだね。
  花桜(かおう)、今日は一緒に来る?」
 水鶏(くいな)が精霊王を誘う。久々の再会だ。色々と話したい事があるのだろう。
 「うん。お願いしようかな」
 了承を得た水鶏は心持ち嬉しそうだ。ひぃなはその様子に安心する。成体の儀は急ぐ話ではない。ここ数年の内ならばいつでも良いのだ。水鶏が候補生でいる内ならば。
 花桜が先に数歩進み、振り返った。彼自体が淡い光を放っており、道を照らしていた。
 「さぁ、行きましょ」
 再び歩き始める彼の後ろ姿は、まだ世界を知らぬ幼い精霊のようだった。彼に続いて三人が歩く。辺りの精霊が、通り過ぎてゆく精霊王を讃えていた。



 精霊王が姿を顕せるようになってから数日が経った。水鶏も元気になり、元の生活が戻ってきた。あれから数回花桜が三人の前に姿を顕す事もあり、その折には四人で話を楽しむ事もあった。
 「ひぃな殿、おはようございます」
 「ひゃ……っ!」
 ある休校日、ひぃなの目の前には精霊王がいた。正確に言うと、ひぃなの部屋にある彼女が眠っている布団の前に座っていた。いるはずもない部屋に彼がいる事実は、ひぃなには受け付けがたいものだった。何せこの家は誘祇(いざなぎ)に守られているのだ。無理矢理この家の結界をくぐってきた場合、何かしらの制裁を受ける事になる。勿論、長時間居座る事はできない。
 「ど、どうやって……入ったの?」
 「ひぃなと水鶏と棕櫚の友達ですって言ったら、入れさせてもらえたよ」
 悪びれもなく言う花桜に、ひぃなはぽかんとした。親には警戒もされなかったようだ。
 「そもそも僕は精霊だからね。
  何もしないと思ったんでしょ」
 彼女の心境を思ってか、優しく答えを導く。精霊王の態度に落ち着きを取り戻したひぃなは自分の姿を見た。寝間着姿である。
 「っ! かおう、私寝間着!!」
 「あぁ、そうだね。
  押しかけたのはこちらだから、気にしないでって言いたい所だけど……」
 女の子だから、気になるよね。と言いながら彼女の襟元へ手を伸ばした。彼の手が触れた瞬間、ひぃなが普段身につけている学校の着物に替わっていった。ひぃなはその動作を素直に受ける。
 「あなたの身につけている物に呪をかけただけだから、僕がこの空間から消えた時には元に戻るよ」
 以前、似たような事をされた覚えがある。あれはいつだっただろうか? 確か……――
 「ひぃな殿?」
 思考を遮るように声を掛けられたひぃなは動きが止まった。しかしそれは一瞬の出来事で、当人はそれを気にせずに口を開いた。
 「着物の件は、これで良いけど……ここに来たからには、何か用事があったんでしょう?
  神祇になる気になったとか?」
 「いや、そういう訳ではないんだ。
  ただ……お話がしたいなって。少し聞きたい事もあるし」
 どうやら本第は後者のようである。ひぃなは、はにかみながら言う花桜を観察した。色素の薄い桃色の髪が緩やかな曲線を描いている。いつもは夕方や夜に会う事ばかりで、日の光を浴びた、この精霊を見た事がなかったと気付く。彼の生み出す光によって誘祇のような透明感のある銀糸が薄桃に染まっているのだと思っていた。
 「何が聞きたいの?」
 「ひぃな殿が、僕に神祇になれば良いと言った根拠について。
  水鶏の祖母、一族に伝わる神の姫巫女は……彼女が姫巫女にふさわしい教養と能力を身に付けたら、姫巫女の座を譲るつもりだと仰っていた。
  ひぃな殿が言っているのは、それを覆す事になるでしょ?
  そうまでしても大丈夫だと言える何かが、あなたの中にはあるのかもしれないな、と思って」
 自分の心の向きを隠さずに言う花桜は、まるで小さな誘祇がいるかのようだった。そこまで考えて、何かにつけて誘祇とそこまで関連付けたいのか、とひぃなは心の中で首を振った。
 「そうね、水鶏の様子を見ていたから。かな」
 「どういう……」
 「彼女は別に、誰かの姫巫女になりたいと強く願っている訳じゃないわ。
  ただ、誰かの為になりたいだけ。
  だから水鶏は姫巫女になれなくても良いって思ってる」
 ひぃなから見た水鶏像が描かれていく。花桜はそれを静かに聞いた。
 「姫巫女にならないと、力を持った人間は疎まれるわ。
  水鶏が本当に厭なのは、そこよ。
  そうなれば、彼女の願いは閉ざされる」
 精霊王は何かを思い出したのか、目を閉じてかすかに眉を寄せる。その表情はどこか切なさを秘めているようだった。

 「水鶏はあなたの事を自分の事以上に大切に想っているわ。
  あなたが神として彼女を姫巫女に迎えた方が、絶対彼女は幸せになる。
  水鶏の親友として、自信を持って言える」
 花桜は思わずひぃなへと視線を戻した。日の光を後ろから浴びながら力強く微笑む彼女の姿は、どこか、神々しさを感じさせた。全てを奪い、取り込んでしまいそうな瞳の輝きを精霊王は眩しそうに見上げる。
 「あなたがそう言うと、そんな風に思えてくるよ。
  ありがとう。
  所で……――」
 一言礼を添えると、次の話題へと移っていく。話題を終わらせられた事に対して深い反応はなく、そのままひぃなと花桜はしばらく団らんの時を過ごした。



 「ひぃな殿」
 「あ、花桜」
 三人が帰りを共にしていると、精霊王が姿を顕した。度々このようにして姿を見せる彼に、ひぃなは微笑んで迎えた。水鶏もこうして会える事を内心喜んでいるようで、笑顔がいっそう増している。
 「ひぃな殿、あなたの手を借りたいのだけど……迷惑ではないかな?」
 「おや、ひぃなにどんな用事だい?」
 突然現れた誘祇に、花桜がぱちりと瞬きする。まるで何も知らない子供のようだ。ひぃなと水鶏が揃って笑みを零した。棕櫚はどこか呆れた眼差しで花桜を見つめる。顕れた時の体勢のまま精霊王の目の前まで彼は移動する。必然と花桜はほぼ真上を向いた。
 「ひぃな殿に、儀式の付き人をしてもらおうかと思ったんだ。
  彼女なら神祇の覚えもめでたいし、存在としても僕と丁度良いからね」
 「なんだ、そんな事か」
 花桜の言葉に、興味を無くしたらしい。誘祇は手のひらを返したかの如く、ひぃなに向けて是非ともやっておいた方が良い。今後の糧になるだろう。貴重な経験だよ。と捲し立てた。
 「あ、その……別にそういう事なら私も構わないけど」
 ひぃなは内心、水鶏を連れた方が良いのではないかと思ったが、花桜の事だ。何か考えがあるのだろう、と思い直した。水鶏は少し不思議そうに二人を見ていた。そんな水鶏を見つめる棕櫚の事は誰も気が付かない。
 「今からでも大丈夫?」
 「良いわよ」
 「なら、私は棕櫚と水鶏を送ってからひぃなのご両親に事情を説明しておこう」
 やけに積極的な誘祇に疑問を持ちつつも、ひぃなは花桜と共に空間を渡ったのだった。



 異動先は花桜の木の下だった。精霊王がその木に左手を当て、言霊を紡ぐ。
 「我は守人、木の主。我と我が連れをその身に取り込み給え」
 ひぃなに手を伸ばし、握るとそのまま木へと溶け込むように消えていった。後には桜の花びらがはらはらと舞う。それ以外に二人がここにいた事を証明するものはなく、しんとした空気が空間を支配していた。
 ひぃなが次の瞬間に見たのは、不思議な空間だった。どこか現実味のない、何かが人間の生活する世界と理の異なる世界。具体的に何が違うのか彼女は認識できていなかったが、確かに異世界と言っても良い空間であった。
 歪んだ樹木が並び、蔦や根のように大地を這う枝もある。その枝の上に三体の何かがいた。実態があるようでない、そんな言葉が似合いそうなそれらは、二人に意識を向けてきた。意識を向けられた、と人間であるひぃなが感じる程に強い意識であった。
 「なぜ、人間を付き人にしたのだ。確かに付き人、と言ったが人型をしているものであればどれでも良いのだぞ」
 「普通は両親であろう」
 「いや、彼の者の両親は不在ぞ。
  一時の迷いで姿を見失わんだ」
 あまり心地の良いものとは言えない態度に、ひぃなの機嫌は悪くなる。花桜はそれに気が付いていたが、あえて指摘する事もなく、平然とした態度を取っていた。
 「あの。
  取り敢えずこの精霊王の成体の儀をやりたいんですけど。
  私だと駄目なのですか?できるのなら、早く彼を成体にしたいのです」
 得体の知れぬだろう相手に、明瞭に意志を伝えようとする彼女の姿を見て、やはり連れて来て良かったと花桜は心の中で安堵する。
 「強気な娘子だ。
  それでこそ誘祇上(いざなぎのかみ)に見初められし者」
 誰ともなしに三体が同時に愉しそうに言葉を紡いだ。途端に三体の姿が変わる。それは、雅やかな三体の精霊の姿だった。




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