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 正にお手上げ、といった様子の誘祇(しゅろ)は呆れ声を出した。
 「おまえな、これじゃひぃなが困るだろ。
  明日以降このままだと、校舎内にまでついてきそうな勢いじゃないか」
 誘祇は抱き上げたままにしていることらと、先程の会話から既に切り替えが終わっているらしいひぃなを交互に見る。彼は溜め息を吐いた。どうして、彼女が安全になったと思い始めた途端のこれなのだろうか。
 私の案が、良い方向に向かい始めたと感じていたのに。
 「ことら様!
  誘祇上(いざなぎのかみ)、大変ご迷惑をおかけ致し……申し訳ご」
 「どうしてここが分かったのだ!?」
 一匹の白虎が唐突に顕れた。白虎は顕れるなり、誘祇に頭を垂れる。それは動物の姿をした、しかし雰囲気やその醸し出す力の気配からこの白虎が神祇である事が分かる。
 「俺は……、ことら様の気配を探って……」
 「私はついてくるなと言わなかったか」
 尊大な態度を取ってはいたが、別に彼女は怒っている訳ではなかった。いつもの事なのかもしれない。
 「白琥祇(はくぎ)、私の事は良いのだ」
 白虎はその言葉にゆるりと横に首を振る。誘祇には、その姿は直ぐにでも消えてしまいそうな程、儚く映った。
 「白琥祇、今日の件は気にすることはない。
  ただ、私の所にこうしてやってきただけだからね」
 誘祇はことらを白嘘祇の背中に乗せながら言った。その重みに顔を上げると、近くに最高神の顔があった。誘祇は白虎の頬を撫でながら、その額に自らの額を合わせる。
 「その、姫を想う気持ち……大切になさい。
  その心は君を強くするはずだ」
 「誘祇上……」
 「愛する者の手を離さなければ、守り抜けるだろう。
  私のように、なってはいけないよ」
 白虎が、はっとしたように彼の神に視線を向けると彼は困ったように笑った。白虎の顔に彼の髪がかかった。
 何事もなかったかのように、誘祇は立ち上がるとひぃなの方へ向いた。
 「暫くは……我慢してくれると嬉しい。
  大丈夫、ちゃんと解決できるから」
 「……分かった。あなたがそう言うなら、そうなんでしょう」
 ひぃなは素直に頷くと、ことらの頭を軽く撫でた。その顔には微笑みすら浮かんでいる。
 「さ、今日の所はみんなお帰り。
  ここにずっと居ても良いけれど、周りの視線があるからね」
 いつの間にか夕暮れ時特有の、少し湿った薫りがしていた。そろそろ神祇と姫巫女が灯りを灯しに巡回をする時間だ。
 白琥祇は、小さく礼をすると幼い姫君を背に乗せたまま空間を渡った。幼い姫君は、少し不満そうではあったがこれ以上ここにいても自らの評価を下げるだけであると理解していたのであろう。反抗する様子はなかった。
 「分かったわ。誘祇、またね」
 「あぁ。みんな気をつけて」
 穏やかな表情で、ゆっくりと手を振る。ひぃな達はそれを見る事なく真っ直ぐ帰っていった。いつの間にか、手を振っていた方の腕には、他の腕が絡みついていた。
 「妬けるわねぇ」
 「私は、好かれやすいみたいだから」
 驚いた様子もなく、ひぃな達の消えていった方向を見つめながら答える。御月(みつき)は少し不満そうに誘祇の腕を絡ませていた腕を降ろした。
 「そうね。そうでしょうとも」
 「え。御月?」
 御月の徐々に遠ざかる気配に振り向く。その行動の割に、御月は楽しそうであった。疑問を浮かべる誘祇を知ってか、御月が振り返る。
 「女ったらしの旦那様」
 「はい??」
 いつも誘祇は特定の人間一筋であるというのに、突然女たらしと言われた衝撃に彼は動きを止める。御月はそれを面白そうに見つめながら言葉を紡いだ。
 「この前言ったじゃない?面白い事になっているみたいだって。
  私という姫巫女がいながら、ひぃなという少女を囲っている。
  ほらね。そういう評価が周りからされるのも必然だと思わない?」
 誘祇は、初めてその事を考えた。しかしあまりぴんとは来ない。
 「でも、ひぃなはまだ子供だし。
  私はひぃなを姫巫女にしようとは思っていない」
 「そんな事、他に通用するとでも?」
 そう言うなり、彼女はさっさと屋敷へと入っていってしまった。これ以上の会話は意味がないと思ったのだろう。残ったのは、どうすれば良いのか分からずに混乱している誘祇だけであった。



 ひぃなは家の前まで帰ってきていた。勿論付き添いには棕櫚がいる。花桜は今日は水鶏と一緒に帰っていった。精霊である彼も少し気疲れしたのだろう。あまり雰囲気が良くなかった。
 「棕櫚、ありがとう。
  明日の事は、また明日考える事にするわ」
 できれば、今日はもう考えたくないというのが本音だろう。ひぃなの言葉に棕櫚も軽く頷いた。彼女が玄関の戸に手を掛けると、中から声が掛かった。
 「久しぶり、棕櫚」
 「あ、お父さん」
 真っ直ぐな、艶のある黒髪が印象的な男が玄関に立っていた。ひぃなの父である。
 「お久しぶりです、父殿」
 棕櫚の言葉に、嬉しそうに頷く。棕櫚はいつも彼と会う度に思う。人間というよりは、むしろ神祇の様な雰囲気を持つ不思議な人だ、と。
 「棕櫚、いつもありがとう」
 「いえ。俺がついているだけでも、ひぃなの為になるなら構いません」
 ひぃなの性格からは想像できないだろうが、ひぃなの父はとても腰が低い。ちょっとした事でも感謝の言葉を添えて礼をする。腰が低いどころか自分を出し過ぎるきらいのあるひぃなは父とは両極端であった。
 「お父さん。別に棕櫚に会う度にそんな事しなくても良いのに」
 口を尖らせる娘に、父は楽しそうに答える。
 「良いんだ。私は滅多にこうして棕櫚に会う事はないんだから、会える時にお礼をしておかなければ。
  きっと、私は後悔してしまうよ」
 「お父さん……」
 やれやれ、といった感じで呟くひぃなに、父親を非難する気持ちはないようだった。そんな様子に棕櫚は微笑ましく思う。両極端なのは、表現の仕方であって二人とも考えている事は似ているのだ。
 棕櫚は久々に親子の会話を聞いて、安心した。そのまま足を門の外へ向ける。
 「じゃあ、俺は帰ります。
  ひぃな。また明日な」
 「ありがとう、気をつけて帰るんだよ」
 「棕櫚。また、明日ね」
 短く言葉を交わし、棕櫚は門の外へ出て行った。ふわりと、結界が歪み空気が揺れる。それも短い間で、すぐに収まった。それを見届けるとひぃなは父親に導かれるまま家の中へと姿を消した。
 「お父さん、今日はどうしたの?」
 ひぃなの疑問に、笑ったまま答えない父親。彼女が不満そうにしていると、ようやく答えを発した。
 「偶には、父親らしくしないとね」
 「何それ。意味がよく分からないわ……」




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